「新幹線の技術が中国に盗まれる」 JR東海・葛西敬之が危惧した過去と現在、安倍晋三との蜜月で政府と一体化した「最後のフィクサー」とは
国鉄の分割民営化の狙い

さらに本書の興味深い点は、葛西と第2次安倍政権を官邸で支え続けた杉田和博内閣官房副長官の深い関係を指摘している点だ。警察官僚であった杉田を官房副長官に推したのは葛西であり、葛西と警察官僚との付き合いは国鉄民営化時における労組対策から始まっているというのだ。
国鉄の分割民営化は巨額の累積債務を積み上げた国鉄の経営の立て直しのために行われたが、同時に労働組合の力をそぐという狙いもあった。国鉄の
・国労(国鉄労働組合)
・動労(国鉄動力車労働組合)
といった労働組合は非常に強く、春闘などでも国鉄の労組が率先して闘っていたが、こうした状況を打破したいという思いが国鉄の分割民営化を進めた中曽根康弘首相にはあったという。国鉄の分割民営化に携わった川崎二郎元運輸大臣は、
「日本の労働界の構造を中曽根さんが国鉄の分割民営化でたたき割っちゃったんだ」(52ページ)
と述べている。
国鉄の民営化については、まず経営再建を図ってそれが無理なら分割民営化する「出口論」と、すぐにでも分割民営化すべきであるという「入口論」があった。「入口論」を唱えていたのは第2次臨時行政調査会の委員だった加藤寛など少数で、国鉄改革3人組の中でも葛西だけだった。当然、国鉄や運輸省の内部においては「出口論」が主流である。
こうした中でも葛西が「入口論」を唱え続けた背景には、本書によると瀬島龍三の存在があったという。瀬島は関東軍の作戦参謀などを務めた人物で、中曽根政権のブレーンとしても知られているが、葛西は義弟の父を介して瀬島と知り合いになり、たびたび瀬島と会って策を授けられていたという。
自民党では三塚博が分割民営化の旗振り役となり、さらに国鉄の分割に反対していた田中角栄が病に倒れたことで、国鉄の分割民営化が動き出した。
当然ながら労組は反発するが、葛西は主流組合であった国労と闘うために、より過激な運動を行うことで知られていた動労の松崎明委員長を抱き込む作戦に出た。松崎は革マル派(日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派)結成時の副議長であり、特に井手などは抵抗を示したが、葛西は毒をもって毒を制すという考えでこれを進めたのだ。
そして、いわゆる松崎の「コペ転(コペルニクス的転回)」によって労組側の足並みは乱れ、分割民営化に向けた大きな障害が取り除かれた。ただし、これによってJRは過激な労組を抱え込むことにもなった。特にJR東日本労組委員長になった松崎を抱え込んだJR東日本はこの問題にのちのちまで悩まされることとなる。