自動車国産化への飽くなき情熱! 大正時代の大衆車メーカー「白楊社」、関東大震災が無かったら日本を席巻したかもしれない

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大正元年に設立されたある会社が、日本にとって初となる純国産大衆自動車の量産化に挑んだ。高く評価を受けたその1台は、なぜ昭和の表舞台から姿を消してしまったのだろうか。

生産の延期、その後成し遂げた快挙

大正13年に登場した量産型の純国産車「オートモ号」(画像:矢吹明紀)
大正13年に登場した量産型の純国産車「オートモ号」(画像:矢吹明紀)

 幸運にも白楊社は大きな被害からは免れたものの、東京とその近郊の混乱は著しく、アレスを母体とした量産型の製作とその生産ラインの建設は、翌1924(大正13)年に持ち越されることとなる。

 大正13年8月、アレスをベースとした量産型が完成した。

 エンジンはアレスの空冷直列4気筒をベースに、排気量を780ccから943ccにアップしたものが搭載された。最高出力は9馬力程度に過ぎなかったものの、小型軽量な車体が功を奏して軽快に走ることができた。

 発表は同年11月と決定し、車名もアレスから豊川家の祖先に当たる大伴氏に由来する「オートモ号」に改めることとなった。

 アレス改めオートモ号は、完成から発表までの3か月の間にとてつもない快挙を成し遂げた。それは、長距離連続運転耐久試験の過程で、大阪―東京間の東海道をわずか40時間で走破して見せたことである。

 当時の東海道は日本有数の幹線道路とはいえ、行程のほぼ全区間が山道にも等しいオフロードというもの。途中には鈴鹿峠や箱根峠などの名だたる難所も複数あり、外国製の高級車であっても全行程のノントラブルで走破することは難しいとされていた。

 それを一見したところチープでプリミティブな小型車だったオートモ号が見事に成し遂げたのである。

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