織田信長は一流の物流マン? 16世紀に「国道」「県道」を整備、税関撤廃で流通を活性化させた立役者だった
「バイパス」まで整備
それだけではない。驚いたことに、信長は、本街道に松や柳を植えるよう指示していたのである。普通、並木道というと東海道の松並木が有名で、これを植えさせたのが徳川家康ということもあり、松並木の発想は家康からと思っている人が多い。しかし、その前に信長が松並木を実践していたのである。
本街道に並木を植えさせた理由について、信長は「夏の暑い盛りでも、並木があれば日陰ができ、商人たちの往来がしやすい」と説明している。信長が道幅を広げ、街道整備に乗り出したのは、商人たちの往来をしやすくする目的だった。だからこそ、道を広げるだけでなく、曲がりくねっている道を真っすぐに造り替えているのである。さらに、信長はいまでいう『バイパス』も造っている。
確かに、バイパスに類する直線道路をつくった武将は他にもいる。例えば、武田信玄の「信玄棒道(しんげんぼうみち)」があるが、これは軍用道路であって、一般の道ではない。一般の道でバイパスを造ったのは、信長が初めてであろう。
では、こうした信長の交通インフラ整備の狙いはどこにあったのだろうか。他国の軍勢が攻め込んでくるかもしれないという危険を冒してまで道幅を広げ、真っすぐにし、川に橋を架けたのは、どうしてなのだろうか。
その答えのヒントになるのが、並木道のところでみたように、商人たちの往来をしやすくするというものだ。商人の往来を盛んにすることで、商品流通経済の活性化を狙ったのである。商品流通が活況を呈すれば、商人たちがもうかるわけで、そのようにして富を蓄積した商人たちに信長は矢銭(やせん、軍事費)を課したのである。
そうして得た矢銭で、新兵器の鉄砲を買い入れたり、矢銭で兵を雇ったりすることによって、常備軍を編成。敵に攻め込まれるかもしれないという、交通インフラのデメリットに対処していた。
信長は、それまでの戦国大名の常識だった、農民からの年貢収入に依存するのではなく、商人たちからの矢銭に依拠する、いわば「商業立国構想」を考えていて、商人たちの往来を盛んにするために交通インフラ整備に力を入れたわけである。