三陸鉄道の命運を握るのは「JR東日本」との連携だ! 『あまちゃん』頼みを超えて、さらなる高みへ到達できるか

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NHK『あまちゃん』で一躍有名になった三陸鉄道。その歴史と課題点とは。

三陸鉄道の歴史

三陸鉄道の主力となった36-700形(画像:岸田法眼)
三陸鉄道の主力となった36-700形(画像:岸田法眼)

 三陸鉄道(岩手県宮古市)は国鉄の特定地方交通線(不採算のため、廃止確定のローカル線を表す)、日本鉄道建設公団(現在の独立行政法人鉄道建設・運輸施設整備支援機構)の建設線を引き継いだ第三セクター鉄道だ。

 1984(昭和59)年4月1日、北リアス線宮古~久慈間71.0km、南リアス線盛~釜石間36.6kmが開業した。当時、これらを引き継いだ初の第三セクター鉄道として脚光を浴び、全国から観光客が押し寄せるほどのブームとなった。

 開業当初、北リアス線と南リアス線のパイプ役だった国鉄山田線(現・JR東日本山田線)に乗り入れていなかったが、1987年3月22日から直通運転がスタート。一時期、夏季の仙台~気仙沼~盛~久慈~八戸間に臨時快速「リアス・シーライナー」という、“夢の三陸縦貫鉄道直通列車”が運転された。

 2011年3月11日14時46分、東北地方太平洋沖地震が発生し、三陸鉄道は壊滅的な被害を受けたが、国費の投入もあり、2014年4月5日に南リアス線、4月6日に北リアス線が完全復旧した。

 2019年3月23日には山田線宮古~釜石間55.4kmをリアス線として引き継ぎ、三陸鉄道は晴れて自社線としてレールがつながった。これに伴い、北リアス線、リアス線、南リアス線は「リアス線」として案内している。

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