中央線はなぜ飯田橋駅付近でカーブするのか? 江戸城の「外濠」が与えた影響を探る【連載】江戸モビリティーズのまなざし(7)
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- 鉄道, 江戸モビリティーズのまなざし, モビリティ史
江戸時代の都市における経済活動と移動(モビリティ)に焦点を当て、新しい視点からそのダイナミクスを考察する。
中央線建設の予定ルートは違っていた

都心を走る中央線は、当初は別のルートが計画されていた。そもそもは
「新宿 → 若松河田町 → 曙橋」
を経て市ヶ谷に抜け、市ヶ谷から先は東京駅まで現在と同じルートを策定していたという。だが、この計画は建設予定地周辺の住民から、激しい反対運動が起きて頓挫する。
加えて、立川方面から来た列車が新宿駅で北東に方向を転換する、いわゆるスイッチバック方式を採用する必要もあったと指摘されており、いかにも非効率だった。そこで目を付けたのが、外濠の活用だったわけだ。
江戸城の重要な軍事施設・外濠を鉄道と道路にするとは、予想だにしない大転換だったに違いない。こうしたヒストリーを、モビリティ産業に従事する人たちが知るのは、決して無駄ではないだろう。
※「濠」は現在、常用漢字になく通常は「堀」を使うが、ここでは「外堀通り」「内堀通り」「真田堀運動場」など固有名詞のほかは、江戸時代の文献にある「濠」を使用した。
●参考文献
・古地図から読み解く城下町の不思議と謎/山本博文(実業之日本社)
・東京人2019.1月号「特集 外濠を歩く」(都市出版株式会社)