中央線はなぜ飯田橋駅付近でカーブするのか? 江戸城の「外濠」が与えた影響を探る【連載】江戸モビリティーズのまなざし(7)

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江戸時代の都市における経済活動と移動(モビリティ)に焦点を当て、新しい視点からそのダイナミクスを考察する。

飯田橋~四谷間に現存する遺構

飯田橋西口を出て、牛込橋を渡ると牛込見附の石垣がある(写真上)。牛込濠の奥に見えるのは中央線線路。この一帯は埋め立てを逃れ、濠が現存している(写真下)(画像:小林明)
飯田橋西口を出て、牛込橋を渡ると牛込見附の石垣がある(写真上)。牛込濠の奥に見えるのは中央線線路。この一帯は埋め立てを逃れ、濠が現存している(写真下)(画像:小林明)

 飯田橋駅西口には、外濠の遺構がふたつ現存している。ひとつは西口を出て左に行き、橋を渡った場所にある牛込見附の石垣だ。

 見附とは、見張り番を置いた軍事施設のことで、外濠各所に設置されていた。そのうちのひとつがここである。

 また、牛込見附の裏側には外濠の一部が埋め建てられずに残っている。牛込濠である。飯田橋駅からさらに中央線に乗って新宿方面へ進むと、四谷駅の手前でまた線路が左へ曲がり始める。その先の一帯は、外濠の影響が東京のモビリティに最も色濃く反映されたエリアだ。

 まずJR四谷駅。この駅は、外濠の底に建設された駅である。線路を挟んで両側に高くそびえた壁は、濠の名残だ。また、四谷駅には東京メトロ丸の内線も通っているが、開通したのは丸の内線が後だったため、JRの駅の上を丸の内線が通過している。

軍事施設があった上智大学のグラウンド

真田濠は上智大学グラウンドに変わった。手前は東京メトロ丸の内線の線路(画像:小林明)
真田濠は上智大学グラウンドに変わった。手前は東京メトロ丸の内線の線路(画像:小林明)

 さらにもうひとつの見どころが、上智大学のグラウンドである。ここは外濠の最も高地にあったため、江戸城を防御する軍事施設の要の地であり、真田濠と呼ばれていた。

 真田濠の由来は、戦国武将・真田幸村(信繁)の兄で松代藩初代藩主である信之が、徳川幕府に命じられて造成したことによる。1636(寛永13)年に完成。幅90m、深さ14m、総延長1kmに及ぶ広大な濠だった。そこが現在は大学のグラウンドであり、正式名称も「上智大学真田堀運動場」だ。

 また、真田濠の南西に現存しているのが、弁慶濠だ。東京メトロ赤坂見附駅を下車して徒歩数分、今はボート乗り場と釣り堀がある。江戸時代は赤坂御門が隣接していた。現在も御門の石垣が残っている。

 最寄りの駅名が赤坂見附と、「見附」が使われていることから分かる通り、これも軍事施設だった。こちらの石垣は福岡藩の黒田忠之が築いた。NHK大河ドラマの主人公『軍師官兵衛』(2014年放送)の孫だ。完成したのは真田濠と同じ寛永13年である。

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