群馬の名湯「草津温泉」 いまや車でアクセスも、昭和中期までは直通列車が走っていた!

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草津温泉への公共交通機関を使ったアクセスは現在、三つに限定されるが、かつては鉄道で直接行くことができたのをご存じか。

日本初のカラー映画で確認できる雄姿

『カルメン故郷に帰る』(画像:松竹)
『カルメン故郷に帰る』(画像:松竹)

 草軽電気鉄道の姿を確認できる貴重な映像資料に、“日本初の総天然色映画”として知られる『カルメン故郷に帰る』(木下惠介監督)がある。1951(昭和26)年に公開されたこの作品は、ストリッパーのカルメン(高峰秀子)が仕事仲間(小林トシ子)を連れて故郷の浅間山麓に帰った数日間を描いた物語だ。派手な衣服に身を包んだふたりは、草軽電気鉄道の北軽井沢駅で降車する。

 この映画に登場する草軽電気鉄道は、運転手が乗る電気機関車、客車、屋根のない貨車(映画ではそこにも客が乗っている)の3両編成で、自転車で追いつけそうなのんびりしたスピードで走っている。

 なお、周囲のロケーションの美しさからか、

・『月がとっても青いから』(1955年)
・『ここに泉あり」(1955年)
・『山鳩』(1957年)

といった映画にも、草軽電気鉄道は登場している。

度重なる台風被害で廃線へ

旧北軽井沢駅の駅舎(画像:(C)Google)
旧北軽井沢駅の駅舎(画像:(C)Google)

 そんな草軽電気鉄道の廃線はバブル崩壊よりも、オイルショックよりもずっと前のことだった。

 実は『カルメン故郷に帰る』の公開時点で、斜陽化の予兆は見られていた。1935(昭和10)年には周辺で大型バスの運行が始まり、終戦の年である1945年には、国鉄長野原線(現・JR吾妻線)が開通。長野原駅(現・長野原草津口駅)から国鉄バスで草津温泉にアクセスするルートが生まれたことで、唯一無二の存在ではなくなったのだ。

 同じ年、草軽電気鉄道は東京急行電鉄の傘下に入るも、1949年9月の大きな台風被害が引き金となり、深刻な経営不振に陥る。この頃から、一部区間の廃止が検討されるようになった。そして、1950年8月には再び台風禍があり、吾妻川橋梁が流失という悲劇に見舞われた。

 世の中は高度経済成長期を迎えていたが、草軽電気鉄道の追い風にはならなかった。1959年には、またしても台風により吾妻川橋梁が流失するという“泣きっ面に蜂”な事態が発生。結局、橋梁が再建されることはなく、その区間はバスでの代替輸送となった。

 これは乗客数をさらに減らす結果となり、1960年に新軽井沢~上州三原間が廃止に。一度目の東京オリンピックの2年前、1962年には上州三原~草津温泉間も廃止となることで、草軽電気鉄道は完全に姿を消したのだった。

 ちなみに、廃線後の1967年に公開されたザ・ドリフターズ主演の『なにはなくとも全員集合!!』は、草津温泉にある駅が舞台になっている。これは、在りし日の草軽電気鉄道へのオマージュになっており、実際は群馬県内にある別の駅で撮影されている。

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