戦争のプロはロジスティクスを語り、素人は戦略を語る 「軍事ロジスティクス」から考える世界戦争史

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ウクライナ侵攻以降、一般的に知られるようになった「軍事ロジスティクス」。今回は軍事ロジスティクスから世界戦争史を考える。

「バルバロッサ」作戦のロジスティクス

 ロジスティクスの観点から第2次世界大戦、1941年東部戦線の「バルバロッサ」作戦や独ソ戦全般を考えれば、これが「兵站支援限界」を超えた、さらには「成功の局限点」を超えた、無謀としか表現し得ない作戦だった事実は否定できない。

 北アフリカの戦いでのドイツ軍指揮官エルウィン・ロンメルにも同様に当てはまるが、「バルバロッサ」作戦は、一見華やかな「電撃戦」の表層に目を奪われることなく、その負の側面、とりわけあまり注目されることのないロジスティクスをめぐる側面にも十分に留意するようわれわれに警告しているようにも思われる。

「バルバロッサ」作戦や独ソ戦全般は、1812年のナポレオンのモスクワ遠征としばしば類比される。実際、約1世紀前の戦いの研究を通して第1次世界大戦のドイツ軍人は、常にナポレオンの悪夢の再来を懸念していたのだ。

 モスクワ遠征に最終的にナポレオンが失敗した理由が、糧食、医療、防寒対策を含めた「管理面の欠陥」――つまりロジスティクス――にあったとする指摘は重要である。確かに当時、あらゆる意味において戦争は、ナポレオン個人の「軍事的天才」(カール・フォン・クラウゼヴィッツ)だけではもはや統制および管理できない規模にまで拡大していたのだ。

 ただし、ナポレオンの大陸軍(グランダルメ)を実質的に敗北させた原因は、補給物資の不足というよりも、それを前方地域に移送および分配する能力の欠如だった。ナポレオンの有名な格言に「軍隊は胃袋とともに進む」とあるが、ロシア遠征ほどその失敗によってこの格言の妥当性を証明し得た事例はないだろう。ロジスティクスをめぐる戦いにおいてしばしば問題視されたのが、補給物資の不足そのものではなく、それを最前線へと運ぶ手段であるとの事実は極めて重要だ。

日本の戦争とロジスティクス

 次に、日本の戦争の歴史からロジスティクスの重要性について考えてみよう。

 例えば、663年の白村江(はくすきのえ)の戦いに敗北した当時の日本の政権は、朝鮮半島に上陸した兵士に物資を補給する術(すべ)を断たれた。12世紀末の源氏と平氏の戦いで、平氏の根拠地である屋島の孤立を図った源氏であるが、逆にいわゆる西国地域で糧食不足に陥り、平氏側の補給ルートの遮断に失敗、結局は屋島への攻撃を実施することを余儀なくされたのだ。

 次に、豊臣秀吉が2度にわたって実施した朝鮮出兵(文禄(ぶんろく)および慶長の役【1592~1593年と1597~1598年】)に対して朝鮮の将軍イ・スンシン(李舜臣)は、日本側の糧食を断つ目的で海上での戦いを挑み、これに勝利した。織田信長や豊臣秀吉による全国統一の過程で、石田三成がロジスティクスの側面でその能力を大いに発揮した事実は広く知られている。

 また、時代は下って1904~1905年の日露戦争で日本海軍は、朝鮮半島およびアジア大陸に進出した陸軍に対する日本海の補給線(ライン)を確保するために、ロシア極東艦隊やバルチック艦隊の撃滅を重視した。

 1937年7月の盧溝橋(ろこうきょう)事件に始まる日中戦争時の「援蒋(えんしょう)ルート」、ヴェトナム戦争での「ホーチミン・ルート」は、まさに戦争が補給線(ライン)をめぐるものだった事実を如実に物語っている。

 また、日中戦争で毛沢東(もうたくとう)が用いた遊撃戦(ゲリラ戦)も、日本軍を中国大陸の奥深くに引きずり込むことによって補給ルートを遮断することが、その目的のひとつだった。これは、第1次世界大戦でのイギリス軍人「アラビアのロレンス」によるオスマン(=トルコ)帝国に対する戦い方とほぼ同様だった。

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