戦争のプロはロジスティクスを語り、素人は戦略を語る 「軍事ロジスティクス」から考える世界戦争史

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ウクライナ侵攻以降、一般的に知られるようになった「軍事ロジスティクス」。今回は軍事ロジスティクスから世界戦争史を考える。

中国の戦争史とロジスティクス

 ロジスティクスの重要性について戦争の歴史から概観すれば、例えば古代中国、三国志の時代の官渡(かんと)の戦い(200年)で袁紹(えんしょう)は、その膨大な兵力を支えるため大量の補給物資を必要としたため、自国から戦場までの物資の輸送体制を整えようとしたものの、敵対する曹操(そうそう)はそれを予期して奇襲攻撃を実施し、袁紹軍の補給部隊を撃破、その物資を焼き払うことに成功した。

 また、蜀(しょく)の諸葛(しょかつ)亮(りょう)の行ったいわゆる北伐、最後の第五次北伐において彼が、五丈原(ごじょうげん)で屯田を行うことで自軍の糧食問題の解決を図ろうとした事実はあまりにも有名だ。加えて、諸葛亮が発明した「木牛流馬」という移送手段は今日に至るまで広く知られている。

 さらにチンギス=ハンおよびモンゴル帝国の時代、彼らは築城や屯田のための専門部隊を備えていた。また、補給および連絡網など後方地域の支援態勢を含めた軍事のシステム化および効率化に優れ、ロジスティクスとりわけ糧食の確保を重視した。駅道と駅舎(ジャムチ)、駅伝(ジャム)制の整備(約4kmごと、換え馬、糧食)はつとに知られ、のろし(烽火台)の活用にもたけていた。

ローマと軍事ロジスティクス

開戦前、2016年にウクライナ軍が実施した実動演習の際のトラックの車列(コンボイ)(画像:ウクライナ国軍参謀本部)
開戦前、2016年にウクライナ軍が実施した実動演習の際のトラックの車列(コンボイ)(画像:ウクライナ国軍参謀本部)

 他方、古代ギリシアおよびローマの時代には、例えばマケドニアのアレクサンドロス大王は、いわゆる「東征」に際し自らの軍隊の進撃に先立って、工兵部隊に道路の整備を実施させている。また、陸上で十分な補給物資を確保するために軍を分割し、その軍は沿岸を航行する船舶から水の補給を受けた。

 ローマとカルタゴの戦争、例えば第2次ポエニ戦争(紀元前218~201年)でローマの将軍クィントゥス・ファビウス・マキシムスは当初、アルプス越えで知られるカルタゴの将軍ハンニバル・バルカと直接対峙(たいじ)することを回避し、ハンニバルの補給物資を断つことを主たる目的として行動した。今日でも「ファビウス戦法」として知られる戦い方だ。続く第3次ポエニ戦争(紀元前149~146年)でローマは、カルタゴの籠城に対して補給物資を遮断、飢餓へと追い込んで降伏させた。

 ローマ(帝国)軍は橋梁、水道橋、そして道路――ローマ街道――の建設に優れた能力を発揮したが、これこそローマの強さの秘訣(ひけつ)だった。当時は、今日の戦闘部隊、工兵(エンジニア)部隊、補給部隊といった明確な区別はなく、兵士には技術的な知識を求められたのだ。

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