京葉線新駅「幕張豊砂」来年春に開業 白紙寸前の建設計画を甦らせた小売最大手の政治力とは
バブル崩壊で新駅どころではなくなる

幕張豊砂駅の構想は30年以上前に遡るが、道のりは波乱含みで、一時は「白紙」寸前にもなっている。
豊砂地区一帯は幕張新都心拡大地区と呼ばれ、東側に広がる幕張新都心の第二期工区的位置づけとして、オフィス需要のさらなる拡大を夢見て、千葉県が広大な土地を用意した。
一方、貨物専用線として敷かれた京葉線に1980年代半ばから電車も走り出すと、この地の利便性アップを目論む千葉県は、1991(平成3)年に新駅設置をJR東日本に正式要請する。しかも、援護射撃のため周辺地区に進出する企業を巻き込んだ期成同盟準備会も旗揚げする。
だが時代はすでにバブル崩壊による大不況で、拡大地域への進出希望者など皆無に近い状態だった。また新駅要望に対するJR東日本の方針は出資せず、つまり
「建設費用は全額要請側負担で予定地も確保済み」
が大原則で、それ以前に駅を造っても収益など見込めないのは明らかで、費用負担には応じなかった。
結局、大不況の中では拡大地区の事業そのものがおぼつかない状況で、ついに1998年期成同盟準備会は活動を中止し、新駅構想は白紙の危機に直面する。
「救世主」イオンの出現で息を吹き返す

だが10年余を経て、突如強力な救世主、大手流通グループのイオンが現れる。
1994(平成6)年に東京から幕張新都心へと本社を移し、同地の主(ぬし)的存在となったイオンは、拡大地区が2010年にこれまでのオフィス用途から商業用途へと変更されたのを好機としてとらえ、お膝元に国内最大級の巨大ショッピングモールを構築する一大構想を決意する。そして新駅予定地の隣接地を確保し、3年後の2013年12月に旗艦店「イオンモール幕張新都心」を開業した。
イオンの進出が起爆剤となり、仮死状態の新駅計画は息を吹き返す。巨大ショッピングモールにより大きな集客が見込めるのは明らかで、これまで否定的だったJR東日本に対しても俄然説得力が増す。もちろんイオン側にとっては、眼前の駅を1日も早くオープンしてもらいたいところだろう。
こうしてショッピングモール開業2年後の2015年、
・千葉県企業庁
・千葉市
・習志野市
・イオンモール(イオン・グループ内のショッピングモール運営会社)
の4者が結集し、装いを新たに幕張新都心拡大地区新駅設置調査会(調査会)を発足させ、JR東日本との交渉に臨む。
ところが2年後の2017年、習志野市は新駅への資金負担は無理だとして調査会から脱退してしまう。まさかの戦線離脱だった。
残り3者は仕切り直して、幕張新都心拡大地区新駅設置協議会(協議会)に衣替えし、JR東日本と費用負担について突っ込んだ議論を展開する。その結果、2018年に協議会はJR東日本との基本協定締結に漕ぎつくのだ。
その後、負担割合も決まり、総事業費約180億円(新駅約130億円、南北自由通路約50億円)のうち、最も恩恵を受けるイオンモールが半分(=3/6、約90億円)、残り3/6をJR東日本、千葉県、千葉市の3者が均等でそれぞれ負担することで妥結した。