1980~90年代、なぜ車の屋根には「スキー板」が並んだのか?――誰もが当然に思っていた光景、その消失の理由とは
白銀の高速道路を彩った風景

1990(平成2)年前後の冬、関越自動車道は“移動するショーウィンドウ”だった。週末になると、練馬インターチェンジに向かう環八通りは激しい混雑に見舞われ、わずか15kmの距離に3時間から5時間を要することも珍しくなかった。
本線上の渋滞は50kmを超え、その車列の「屋根」には色とりどりのスキー板が並んでいた。都市から雪山へ向かう欲望が、誰の目にも見える形でさらされていたのである。
停滞した空間は、周囲のドライバーに生活の質を意識させる発信手段となった。屋根に載せられたスキー板は、目的地に着く前の移動時間そのものを、特定の文化圏に属することを示す儀式に変えていた。
最新の調査によれば、2024年の余暇活動でも「国内観光旅行」は4680万人が参加する不動の首位である(日本生産性本部『レジャー白書』)。しかし当時と現代では、その表出の形は大きく異なる。1993年に1860万人を数えたスキー・スノーボード人口は、2024年には420万人と約8割減少した(『読売新聞』2025年12月31日付け)
かつて視覚的なパレードに参加して社会的な立ち位置を確認し合っていた集団が、いかに巨大だったかを示す数字である。車外にレジャー用品を載せる行為は、荷物を運ぶ実用を超えた意味を持っていた。
「自分はスノーレジャーを楽しむ層である」
「余暇に相応の資金を投じる所得がある」
と周囲に示す行為であり、走行中の車体そのものが自己を証明する手段だった。
他者の視線を意識した投資は、走行時の空気抵抗を増やし、燃費を損なう負担をともなっても、特定の社会集団に属する事実を誇示するための必要経費だったのである。
では、なぜ現在のスポーツタイプ多目的車(SUV)の屋根は空のままなのか。この変化は単なる流行の移り変わりではない。日本の消費、都市空間、物流、規制、企業の戦略が絡み合い、移動の様式そのものを変化させた結果だろう。