1980~90年代、なぜ車の屋根には「スキー板」が並んだのか?――誰もが当然に思っていた光景、その消失の理由とは

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関越道の渋滞を彩った屋根上のスキー板――1993年1860万人のスキーヤーが誇示した移動文化は、2024年には420万人に縮小。都市消費、物流、車両設計の変化が、自己表現としての「移動パレード」を過去の光景に変えた。

エネルギー価格と見せる移動

屋根にスキー板を載せた自動車のイメージ。
屋根にスキー板を載せた自動車のイメージ。

 屋根の上に固定されたスキー板は、空気抵抗を大きく増やし、燃費を悪化させる。現代の価値観で見れば非効率だが、1980年代半ばから1990年代初頭にかけては、ガソリン価格が家計に与える負担は許容範囲内で、所得も右肩上がりだった。移動の実費よりも、移動そのものがもたらす価値が優先されていたのである。

 時速100kmで受ける風圧は、社会的な優越感を得るための“通行税”として受け入れられていた。燃費の低下という損失は、自分の生き方を周囲に知らせる記号の鮮度を保つための負担として相殺されていたのだ。

 2024年の余暇市場は75兆2030億円とコロナ禍前を上回る規模に回復しているが(同白書)、現在は効率を重視したサービスへの支出が中心だ。対照的にバブル期は、スキー用品の大量生産で低価格化が進み、10万円程度のセットが2万円前後で手に入った。物理的な道具を持ち、それを掲げることに資金を投じる状況が成立していたのである。

 インフラの整備もこの動きを後押しした。1985(昭和60)年の関越自動車道全線開通や上信越道の延伸は、首都圏から苗場や志賀高原へのアクセスを飛躍的に向上させた。高速道路は単なる移動の道ではなく、自らを表現する線形の劇場として機能したのである。

 だが現代では、レジャーは安く、近く、短期間という効率が求められる。コストを度外視した移動は姿を消し、高速道路上の車列が示していた、豊かさを競い合うパレードも過去の光景となった。

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