「丸一日つぶれました」 なぜ免許センターは駅から遠すぎる場所にあるのか?――ハガキのたび憂鬱になる“時間税”の正体
全国に94か所しかない免許センター。その多くが郊外に置かれるのはなぜか。1980年代の業務集約と即日交付を支えた“広大な用地”という合理性が、いまも利用者の移動時間という見えないコストを生み続けている。
行政コストの外部化
その日のうちに免許がもらえる仕組みは、一見すると便利なサービスに思える。しかし、実情を掘り下げれば、それは役所側が自分たちの仕事をはかどらせるために行き着いたかたちにすぎない。事務を行う場所をギュッと絞り、人も道具も一か所に集めれば、組織としての運営にかかるお金は最小限で済むからだ。だが、その裏側では、利用者に膨大な移動時間を強いるという事態が起きている。
前に触れたように、鴻巣駅から歩いて25分、バスで10分。さらには東松山駅からバスで40分、川越駅からだと約60分もかかる。こうした移動に費やす時間は、財布から直接お金が減るわけではないから、つい見過ごされてしまう。けれど、実際には目に見えない重い負担がずしりとのしかかっている。
本来なら役所側が背負うべき手間を、利用者に「移動」という名前のタダ働きをさせることで、うまく肩代わりさせているのではないか。働く人なら有給を使い、自営業の人なら稼ぐ時間を削られる。お年寄りにしてみれば、長い道中の疲れは相当なものだろう。
行政の台帳にこうしたマイナスが載ることはない。自分たちの運営を楽にするために、国民の貴重な時間を差し出させているわけだ。この通いにくさは、もはや「時間」で納める税金のようなもの。手続き自体は数時間で済むという。けれど、そこにたどり着くまでの大きなつけは、すべて個人の暮らしという資産から切り崩されている。仕事をセンターに集めて支出を抑える一方で、そのしわ寄せをすべて利用者の生活時間で穴埋めさせているのが、隠された実情なのだ。