一歩間違えば「渋い駅舎」に! なぜ東京駅は「欧風レンガ造り」にこだわったのか? 都市の玄関口が回避した「和風の危機」

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東京駅赤レンガ駅舎は1914年完成。辰野金吾が美と都市交通機能を両立させ、鉄道網の接続性と都市景観を意識して設計した日本の玄関口として、街と経済活動の中枢を支える象徴となっている。

辰野金吾という選択

東京駅(画像:写真AC)
東京駅(画像:写真AC)

 東京駅は東京の玄関口であり、その象徴となる赤レンガ駅舎は建築家・辰野金吾と辰野葛西建築事務所によって手がけられた。依頼は1903(明治36)年に行われ、完成までに約8年を要している。

 辰野の構想は、建築の美しさを追求しただけではなく、後の都市交通のハブとしての機能や乗降客の動線を意識したものでもあった。駅舎の規模や配置は、都市内外からのアクセスをスムーズにし、鉄道網全体の接続性を考慮した構想につながったといえる。

 辰野金吾は1854(嘉永7)年、唐津藩の下級武士の家に生まれた。建築家としての道は1873年、工部省工学寮(現・東京大学工学部)への入学から始まる。工学寮の開校も同じ1873年であり、辰野は初の入学試験を受けたが不合格となり、追加募集試験で合格して学びの道を進むことになる。

 当時の明治初期教育では、外国人教師が招かれるのが一般的であり、辰野も三菱一号館などを手掛けたジョサイア・コンドルの指導を受けた。コンドルの教えを吸収した辰野は工学寮を首席で卒業し、その成果としてロンドン留学なども経験し、建築家としての素養をさらに高めていった。

 これらの経験は、駅舎の構想にも反映されている。辰野は欧州で学んだ都市駅の構造や建材選択の考え方を取り入れ、利用者にとってわかりやすい動線と視覚的な安心感を両立させた構想を実現した。

 駅舎の赤レンガや屋根の構造は、都市景観との調和を意識すると同時に、長期的な耐久性と鉄道運用の安定性にもつながるものであった。結果として東京駅は、建築物としてだけでなく、都市交通の中枢としても機能するハブとなったのである。

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