観光客「一度行けば十分」 そんな名古屋が“水上交通”に執念を燃やすワケーー「道路王国」なのになぜなのか

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名古屋市は年間数万石の物流を支えた堀川・中川運河を再生し、水上交通や親水空間を復活させる。都市ブランド向上と観光・生活価値の向上を狙い、2026年には複合施設も開業予定だ。

道路都市の歴史的背景

名古屋城(画像:写真AC)
名古屋城(画像:写真AC)

 名古屋は道路都市という印象が強い。しかし、その成り立ちは水運に支えられていた。江戸時代、尾張藩は名古屋城(1612年完成)の築城に合わせ堀川を開削した。木曽川流域の木材や濃尾平野の米を伊勢湾から城下に運び、藩の財政と暮らしを支えた。当時の舟運量は年間数万石に達し、今日の幹線道路や鉄道に匹敵する物流基盤となっていた。

 昭和初期には全長約8kmの中川運河が完成し、名古屋港と市街地を直結する工業インフラとなった。周囲には倉庫や工場群が集まり、名古屋を工業都市として押し上げた。特に陶磁器は輸出品として名を馳せ、1960年代には横浜港に迫る規模にまで成長した。

 しかし高度経済成長期、モータリゼーションの波により輸送の主役は船からトラックへ移った。平坦な地形を生かして道路整備が進み、高速道路や片道3車線以上の広幅員道路が縦横に走る都市構造が形成され、水運はほぼ役割を失った。

 ここに名古屋の特殊性がある。東京や横浜は港湾を観光と結びつけ、大阪は道頓堀など一部の川筋を都市演出に活かしてきた。しかし名古屋では堀川や中川運河が

「裏の景観」

に追いやられ、道路と工業が都市発展の表舞台を独占した。この分岐点こそ、水辺の魅力に乏しい名古屋を生んだ背景である。

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