荒川の水運が江戸経済を支えた理由とは? 1629年の大工事と物流革命の舞台裏【連載】江戸モビリティーズのまなざし(23) 歌川広重「東海道五十三次 三島 朝霧」1833~1834年 葛飾北斎「東海道五十三次 絵本駅路鈴 箱根」 水野年方「三十六佳撰 遊山 享保頃婦人」。1893年 高橋松亭「お茶の水」。1909~1916年 葛飾北斎「東海道五十三次 絵本駅路鈴 沼津」 荒川水運で運行していた船で、これは明治末期のもの。高瀬船と呼ばれた帆船である。江戸時代に運んだ荷物は主に米俵だった(画像:明治・大正・昭和の郷土史11/国立国会図書館) 昭和初期に撮影された高尾河岸場跡。すでに運輸は鉄道にとって代わり、繁栄していた頃の面影はない(画像:北本市教育委員会文化財保護課) 溪斎英泉画『木曾街道 蕨之驛 戸田川渡場』に描かれた中山道の第2の宿場・蕨宿の戸田川渡場。戸田川とは荒川の戸田付近の別称(画像:国立国会図書館) 関連記事 【Amazon ギフト券プレゼント】自動車DXサミットvol.4 見逃し配信中! (PR)アイティメディア/メディア・ヴァーグ 風が止まると「帆船」はどうなってしまうのか? 進めないだけではない“もう一つの制約”とは 南海フェリー撤退 “2時間航路”はなぜ競争に勝てなかったのか?――明石海峡大橋が変えた本州~四国ルートとは 「こんなに速くする必要ある?」 時速511kmに到達した船、丸木舟から積み重ねた進化はどこへ向かうのか? 「受注は増えても作れません」 国策に追い付かない「造船業界」、1万人超の人手不足が浮き彫りにする供給網の深淵とは この画像の記事を読む