「山手線 = 環状線」はウソだった? 「まあるい緑の山手線~♪」の真実と20.6kmの複雑構造

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山手線は「まあるい緑の路線」として親しまれているが、実態は異なる。全長20.6kmの正式区間に加え、東海道本線や東北本線の一部を借用する“寄せ集め”の構造に、都市の変遷が折り重なる。制度と記憶が食い違う「円環の幻想」の正体を、鉄道史から読み解く。

三路線接合で形成された都市の幻想

山手線(画像:写真AC)
山手線(画像:写真AC)

 この時点においても、山手線が丸い路線と見なされる根拠は乏しかった。現在の埼京線にあたる池袋~赤羽間が、かつては山手線に含まれていたためだ。

 そもそも、山手線の前身となる路線は品川~赤羽を結ぶルートだった。田端方面は後から付け加えられた支線にすぎない。つまり、本来の幹線は赤羽経由であり、田端ルートではなかった。

 しかし1925年、環状運転が始まったことで構図は一変する。赤羽方面の区間は接続を失った盲腸線となり、機能的には後退した。一方、後発だった田端経由のルートが表舞台に立ち、環状路線の主軸として位置づけられた。

 この転換は、都市構造の変化と輸送需要に応じて、路線の序列が再編された結果である。池袋~赤羽間は「赤羽線」として扱われ、1972(昭和47)年に正式名称が確定。その後、現在の埼京線へと移行した。

 こうした経緯により、山手線という言葉が指す範囲は次第に曖昧になる。通俗的な理解と、定義の間にズレが生じていく。

 視覚的に「円」として認識される山手線は、実際には三つの異なる路線を接合したものである。環状という印象は、制度ではなく後世の編集が作り出したものでしかない。

 つまり、運行上の合理性から導かれた接続構造が、人々の記憶のなかで一体化されたイメージを生み出した。それが、山手線という制度的実体とは異なる、象徴としての記号を成立させたのである。

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