“都営”新宿線なのに、終点が「千葉県」にある根本理由
千葉ニュータウンと鉄道計画

路線が本八幡駅まで延伸されることになったのは、1972(昭和47)年のことである。同年3月に都市交通審議会答申第15号が示され、10号線に新たな路線計画が追加された。そのなかに千葉ニュータウン方面へ向かう計画も含まれていた。
千葉ニュータウンは、高度経済成長期に開発されたニュータウンである。多摩ニュータウン、港北ニュータウンと並ぶ首都圏の巨大ニュータウンのひとつだ。
この千葉ニュータウンと都心を結ぶ鉄道として、ふたつの路線が計画された。ひとつは都営1号線(現在の都営浅草線)から京成電鉄の京成高砂駅経由で小室駅(船橋市)まで結ぶ路線。もうひとつは都営10号線の東大島駅(江東区)経由で新鎌ヶ谷駅(鎌ケ谷市)・印旛地区に至る路線である。このうちメインとされたのは後者だった。10号線の車両は大型で編成も長く、輸送力が高かったためだ。
1973年には東京都交通局と千葉県開発局長の間で覚書が交わされた。東京都が本八幡駅までを建設し、千葉県が残り区間を千葉県営鉄道北千葉線(仮称)として建設。完成後は直通運転を行う計画だった。千葉県は昭和初期まで県営鉄道を運営していた歴史もある(現在のJR久留里線、東武野田線など)。この計画は、数十年ぶりの県営鉄道復活を意味していた。
だが、1973年にオイルショックが発生し、計画実現に向けた動きは大きな打撃を受けた。建設費の高騰により、東京都側では一部工事の遅れや見直しが生じた。それでも工事自体は継続された。
一方、千葉県側では当初予定通りの建設が困難になった。とはいえニュータウンの建設は継続され、入居開始も1979年に迫っていた。そこで千葉県と宅地開発公団(現在の都市再生機構の前身)は、サブ路線であった小室~千葉ニュータウン中央間の工事に着手した。この区間は1979年3月までに新京成線の北初富~小室間として開業。現在の北総線となっている。