“都営”新宿線なのに、終点が「千葉県」にある根本理由
都営新宿線が千葉県市川市まで延びた背景には、未完に終わった直通計画の痕跡がある。幻となった千葉ニュータウン直結構想と、今も輸送力を支える設備投資の遺産。そのギャップが、路線計画と都市開発の“現在地”を照らし出す。
10号線計画の全貌と展開

都営新宿線の原型は、1968(昭和43)年に都市交通審議会が答申した「東京10号線」計画にある。この計画は、芦花公園(世田谷区)方面から新宿や靖国通りを経て、
・市ヶ谷
・神保町
・須田町
・浜町
を通り、住吉町方面へ至る路線だった。
当初の目的は、人口が急増していた江東区と江戸川区の交通網整備にあった。例えば江戸川区の人口は、1950年の国勢調査で20万8861人だったが、1965年には40万5139人とほぼ倍増している(2025年7月時点では69万6500人)。こうした急激な人口増加に対応するための計画が10号線であった。
1978年に岩本町から東大島間が先行開業し、その後順次延伸された。最後に篠崎から本八幡間が開業したのは1989(平成元)年である。この時点では本八幡駅は仮設駅だったが、1991年に本設化されている。なお、この頃から京王線の乗り入れも開始された。