「絶海の孤島」だったお台場が、大人気観光地に変貌した根本理由
お台場は1996年の都市博中止後も年間数百万人の観光客を集め、多様な交通網が支える独自の発展を遂げた。行政計画の頓挫が自由な街づくりを促し、観光と居住が共存する稀有な都市空間を形成している。
制度外空間が生んだ都市進化

本来は、都市博覧会を中心に新しい都市づくりが進められる予定だった。しかし、計画が中止されたことで、街づくりの方針や手続きが途中で止まった。そのため、開発されなかった場所に、決められた枠にとらわれない動きが入るすき間ができた。行政の計画にしばられなかったことが、土地の使い方にさまざまな可能性を生んだ。そこでは、もともとの計画にない人の集まりや住みつきが起きた。
土地の使い方をきちんと決めることが後まわしになった結果、民間の会社や住民が自由に試す動きが許された。そのことによって、お台場は行政の計画にそった都市とはちがう流れで、少しずつ変化していった。計画の失敗は、成長の邪魔になるどころか、新しい道を切り開くきっかけになった。
都市の価値は、計画通りに進むことではなく、外の状況が変わったときにうまく対応できる力や、人びとの使い方によって意味が変わっていく広がりで決まる。お台場は、決められた制度の外から生まれた暮らしの積み重ねによって、あとから街としての正当な形を手に入れた特別な例である。
この場所を「失敗から生まれた場所」とだけ見るのは早すぎる。むしろ、計画が途中で止まったことで、中心がひとつでない都市のあり方や、まっすぐでない成長の形を見せたという意味で、これまでの都市開発に新しい問いを投げかけている。
お台場は、都市づくりが進まなくなったときに、そこから何が生まれるかをはっきりと示す例となった。それは、あらかじめ決められた都市ではなく、人びとのかかわりの中で意味がつくられていった都市である。