「絶海の孤島」だったお台場が、大人気観光地に変貌した根本理由

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お台場は1996年の都市博中止後も年間数百万人の観光客を集め、多様な交通網が支える独自の発展を遂げた。行政計画の頓挫が自由な街づくりを促し、観光と居住が共存する稀有な都市空間を形成している。

入場者120万人の逆転劇

1995年開業の台場駅(画像:写真AC)
1995年開業の台場駅(画像:写真AC)

 しかし、予想は大きく外れた。1996(平成8)年に入ると、3月にはホテル日航東京(現・ヒルトン東京お台場)、7月には東京ジョイポリスとデックス東京ビーチが相次いで開業した。同年3月には、はとバスが東京臨海副都心を巡る観光コースの運行を開始している。

 世界都市博覧会の中止により、埋立地は空洞化するという見方が支配的だった。しかし、実際には観光客が殺到した。

 東京ジョイポリスは開業からわずか20日で入場者10万人を突破。デックス東京ビーチは開業1か月で120万人を集めた。ホテル日航東京の1996年8月の稼働率は83%に達した(『アクロス』1996年10月号)。

 人が集まった要因は、「雑多な雰囲気」にあるとされる。デックス東京ビーチのような洗練された商業施設は存在したものの、周囲に残る空き地や未整備の景観が、計画都市にはない“隙間”を生み出していた。

 現地では屋台の出店も目立ち、焼きそばやかき氷が並ぶ路上の風景は、まるで縁日のようだった。お台場海浜公園では釣り客や日焼けを楽しむ人が集まり、空気は完全に海水浴場のそれに近かった。水上バスの呼び込みも盛んであった。

 本来はウォーターフロントの先進的な都心拠点を目指していたが、結果として生まれたのは、土着性を含んだ“ゆるい”観光地であった。

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