「絶海の孤島」だったお台場が、大人気観光地に変貌した根本理由

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お台場は1996年の都市博中止後も年間数百万人の観光客を集め、多様な交通網が支える独自の発展を遂げた。行政計画の頓挫が自由な街づくりを促し、観光と居住が共存する稀有な都市空間を形成している。

商圏拡充で変貌する生活基盤

お台場(画像:写真AC)
お台場(画像:写真AC)

 しかし、1996年ごろのお台場は、東京都心にありながら生活に必要な施設がほとんどなかった。そのため、

「絶海の孤島」

とも呼ばれていた。スーパーマーケットはマルエツだけであった。書店はなく、病院も歯科医院を除けばほとんど存在しなかった。宅配ピザのサービスも利用できなかった。住民は、渋谷や新宿へ行くことを

「街に行く」

といっていたほどだった。

 その後、街の整備が進み、生活の環境は大きく変わった。現在では、マルエツに加え、オーケーストア、まいばすけっと、イオンスタイル有明ガーデン(隣接する有明エリア)などがそろっている。安い店と高級な店がともに存在し、買い物の選択肢が広がった。

 住む人が増えることで、観光やイベントに頼る都市とは異なる安定した力が街に生まれた。お台場は、観光地としてのにぎわいと、暮らしの場としての定着が両立した、めずらしい都市となっている。

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