「戦車 = 絶対必要」は大間違い? 軍事オタクごり押しも、本土決戦論の空洞と「撃ち漏らし」想定の限界

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中国の上陸戦や米軍来援を前提に「戦車不可欠論」を主張する声が根強い。だが、それらは現実性を欠いた想定にすぎない。戦史と軍事合理性を踏まえれば、平時の戦車整備は必要性に乏しい――元自衛官が冷徹に切る「戦車信仰」の危うさ。

事前展開しない不思議

戦車(画像:写真AC)
戦車(画像:写真AC)

 第3は「米軍来援までの陸上持久に必要」の無理である。「以前の防衛庁は『敵国の日本上陸と米国来援までの持久』を公式設定としていた。だから戦車は必要」との内容だ。

 これは陸自の出番を作るためのご都合設定である。そうしなければ戦時に陸自が活躍する機会はない。予算要求どころか存在価値も示せなくなってしまう。

 1978(昭和53)年の『朝日新聞』はその背景に言及している。防衛庁が日本防衛のシナリオを作る際に

「各自衛隊の顔を立てるため陸海空が全部活躍できる状況を作為した」

との統幕首脳の裏話を紹介している(「侵攻のシナリオ 陸・海・空まちまち」『朝日新聞』1978年12月19日朝刊 p.4)。

 米軍来援を待つというのも、考え難い状況である。通例なら米軍は事前展開をする。同盟国が侵略を受ける危険性がある。それなら緊急展開を実施してそのプレゼンスで脅威を封殺する。それが米国流だ。戦争をせず派遣だけで済むメリットは大きい。

 それを開戦まで放置し、その後に流血の決意で米軍を派遣する予定としている。予防接種で済むものをわざわざ肺炎になるまで待つという非合理である。

 それが本当なら日本は安保条約を見直した方がよい。事前展開をしてくれない国が、開戦後に来援するかは怪しいからだ。そして、この「来援までの持久論」もまた戦車の不可欠性を補強する内容ではない。米軍来援を待つ事態となっても戦車の必要性は高まらない。

 米軍の来援は早い。仮に、開戦後となっても米海空戦力は3日目には到着し始める。実際に1990(平成2)年の湾岸危機では展開決定の翌日に第一陣がサウジアラビアに到着している。その段階で対日上陸戦は成立しなくなる。米海空戦力来援により上陸側が制海権と制空権を確保する見込みが立たなくなるからだ。

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