本当に効果あるの? それでも「とび出し注意」看板が増えるワケ
急増する交通事故と地域の対応

東近江市観光協会のウェブサイトによると、飛び出し注意を訴える人型の注意看板は、日本の高度経済成長期に登場した。1960年代から1970年代にかけて、車の交通量が急増し、全国的に交通事故が増加した。この時期、経済成長にともなう都市化や工業化が進んだ一方で、道路整備や交通安全対策は遅れた。
内閣府の「令和5年度交通事故の状況及び交通安全施策の現況」によると、戦後から1960年代半ばにかけて、交通事故による負傷者数と死者数が急増した。1951(昭和26)年から1970年の間、負傷者数は3万1274人から98万1096人、死者数は4429人から1万6765人に増加した。この急増は、車社会の進展に対し、インフラ整備や安全技術が追いつかなかったことが原因だ。
この時期、交通安全のためのインフラ整備が急務だった。道路標識や信号機の設置が不十分で、道路自体の整備も遅れた。車両の安全技術も未発達で、事故を防ぐ技術革新は急務だった。しかし、車の利用は急速に拡大し、交通社会の変化が社会全体に大きな影響を与えた。地域ごとに積極的な取り組みが求められる状況となった。
特に子どもたちの飛び出し事故は深刻な問題だった。これを受けて、滋賀県旧八日市市(現在の東近江市)の社会福祉協議会は、「子どもの飛び出し事故を防ぐ方法はないか」と啓発活動を進めた。その結果、「とびだし坊や」が制作された。視覚的にわかりやすく、親しみやすいこの看板は、ドライバーに対して飛び出しの危険を喚起し、運転マナーを向上させた。
これらの看板設置は、地域社会における交通安全意識の向上を促し、事故の減少につながった。特に「とびだし坊や」のような地域主導の取り組みは、効果的な啓発活動として地域の安全性向上に寄与した。このような取り組みは、行政や警察の枠を超えた市民の自発的な参加によって実現され、社会的コストの削減に繋がった。