神戸が「オワコン」なんて誰が言ったんだよ(怒)

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神戸市は衰退しているという説に反論する。人口減少が進む中、中心部の人口は微増し、健全な財政と再開発の進展が都市の未来を支える。震災からの復興を経て、再生計画に注力する神戸市の現状と課題を探る。

共働き世帯の住宅地逆転現象

神戸市(画像:写真AC)
神戸市(画像:写真AC)

 兵庫県立大学国際商経学部准教授の和田真理子氏の調査研究「神戸都市圏の構造変化とオールドニュータウンー 社会イノベーションによる明舞団地の再生 ー」では、明舞団地(正式には明石舞子団地)が取り上げられている。この団地は、最寄りの朝霧駅から三ノ宮まで約30分の距離にあり、都会に通勤するサラリーマン向けの住宅地だ。

 和田氏は、1965(昭和40)年以降の神戸市の郊外開発とともに、中心部の人口減少が顕在化したと指摘している。しかし、1990年代に入ると、東灘区や中心部の利便性の高い地域で人口増加が見られ始めたという。和田氏はこの現象を「「硬い」まち」という用語を使って説明している。

「区画整理をしたくらいのクオリティはあった方がいいが、空間的にあまり造りこみすぎると、時代の変化に対応する柔軟性に欠け、持続的な成長が困難になると言えるのではないか。近隣住区理論により計画的に配置された地区センターが、モータリゼーションに対応できずに衰退している現象などは、造りこみすぎて変化に対応できていない典型例といえよう。このような変化は、「硬い」地域の衰退と考えることができる。作りこまれたニュータウン地域は、土地利用変化の自由度が低く、変化に柔軟な対応をしにくい。特に、明舞団地は高度成長期のさなかに短期間で完成されたため、その後の住宅・商業施設の陳腐化が激しく、変化を難しくしている」

 和田氏が指摘する「硬い」まちの課題は、神戸市郊外のニュータウンが直面する問題の本質を表している。西神中央、北神、名谷、舞多聞などの昭和30~40年代に開発されたニュータウンは、当初

・庭付き一戸建て
・静かな環境
・鉄道アクセスあり

といった魅力的な住宅地だった。しかし、時代の変化や社会構造の転換に対応できず、持続可能性を失っていった。

 衰退の背景には、計画的に作り込まれた空間の硬直性に加え、少子高齢化の進行や、自家用車依存から脱却を目指す若年層の価値観の変化、単身・共働き世帯の増加など、複数の要因が絡み合っている。現在の住宅選択の傾向を見ると、西宮・尼崎・芦屋など、都市機能へのアクセスと居住環境がバランスよく取れた地域が好まれている。特に共働き世帯や子育て世帯にとって、郊外の駅からバス20分の一戸建てより、駅徒歩5分のマンションが合理的な選択となりつつある。

 とはいえ、現在繁栄している地域もいつまでも繁栄するわけではない。筆者(キャリコット美由紀、観光経済ライター)が取材した際、子育て世代に優しい西宮市の住民から

「今の子育て世代が一巡すれば、衰退に向かうだろう」

という声を何度も聞いた。結局、神戸市全体が衰退しているのではなく、市内での盛衰の二極化が進んでいるといえる。中心部は維持・微増し、郊外のニュータウンは「硬い」構造が時代に対応できず、魅力を失っている。

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