昭和の自動車教習所、なぜ教官は「ヤンキー」風だったのか? しかも指導は「鬼教官」スタイル! 今じゃありえない? その裏に隠された激動史を辿る

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1970~90年代の日本の自動車教習所では、教官の厳しさが社会規範として根付いていた。しかし、当時の「ヤンキー教官」像は、経済成長と交通事故多発の背景から生まれた一方で、その過剰な指導方法に対する反省も見られる。

1980年代の教習所事情と社会背景

自動車教習所(画像:写真AC)
自動車教習所(画像:写真AC)

 SNSだけでは信頼性が不足しているため、複数の時代にわたる新聞記事を調べた。その結果、実際にそのような証言が記録として残されていることがわかった。

 例えば、1984(昭和59)年4月13日付の『読売新聞』朝刊の読者投稿欄には、25歳女性の投稿が掲載されている。彼女は免許取得までの4か月間、「まさに針のムシロの日々だった」と記す。教官からの罵声は次のようなものだった。

「「初め見た時から鈍いとわかっていたけど、それにしてもひどいなあ。オレも長年教習所にいるけど、あんたみたいな人初めてだ……」「隣の奥さんが免許とったからって、まねすることねえだろう」「同じ事、何度言わせるんだ。オレをばかにする気か。金を払ってると思って」」

罵声の後に「(教官は)もう少し限度をわきまえるべきだ」と結んだ女性の投稿には賛同の声が多く、数日後には、同じように教習所の教官への怒りを表明する投稿もあった。

 これらの記録から、現代ならパワーハラスメントとして問題視されるような厳しい指導をする教官が実際に存在していたことがわかる。

 では、なぜ教習所の教官はこんなにも厳しい態度をとっていたのだろうか。

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