「日本酒造り」はなぜ関東で進まなかったのか? 江戸時代まで「上方頼み」だった理由! 船の揺れが酒を旨くする秘密をご存じか
江戸っ子が飲んでいた酒は、大坂など上方からの輸入物だった。江戸時代が下るにつれ、江戸の醤油は上方からの輸入物から関東産の醤油へと移行したが、酒については一貫して上方産が愛された。その背景には、「海路を船で運ぶ」ことで、より酒がうまくなったという事情があった。
江戸時代の江戸の酒は、上方から輸入していた

徳川家康が開府して以来、江戸の人口は増え、世界有数の大都市に成長した。しかし、江戸は新興都市だったため、初期の江戸の食文化はまだ発達していなかった。
例えば寿司についていうと、江戸時代を通じて主流だったのは、上方などから江戸に伝わった押し寿司だった。江戸特有の握り寿司が誕生するのは、江戸時代が始まってから200年以上経った19世紀になってからである。
関東産醤油の台頭

酒や醤油の製造には技術や伝統が必要で、関東での生産はなかなか進まなかった。そのため、江戸の酒と醤油は長い間、上方から輸入されていた。
醤油については、18世紀後半以降、銚子や野田で醤油産業が盛んになり、関東産醤油への転換が進んだ。その結果、1730年には162万樽だった大坂からの輸入醤油は、幕末には数百樽とほぼ消滅。江戸の醤油は関東産が独占するようになった(田村平治、平野正章編『しょうゆの本』)。
一方、江戸の酒は、江戸時代の終わりまで上方からの輸入に頼っていた。関東での現地生産は進まなかったからである。