「日本酒造り」はなぜ関東で進まなかったのか? 江戸時代まで「上方頼み」だった理由! 船の揺れが酒を旨くする秘密をご存じか

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江戸っ子が飲んでいた酒は、大坂など上方からの輸入物だった。江戸時代が下るにつれ、江戸の醤油は上方からの輸入物から関東産の醤油へと移行したが、酒については一貫して上方産が愛された。その背景には、「海路を船で運ぶ」ことで、より酒がうまくなったという事情があった。

京で珍重された「富士見酒」とは

杉樽で運ばれた酒は、杉の香りがした(画像:写真AC)
杉樽で運ばれた酒は、杉の香りがした(画像:写真AC)

 なぜ醤油とは異なり、関東での酒の生産は進まなかったのか。その背景には、上方から江戸への

「船による輸送」

という意外な事情があった。上方の酒は、船に揺られて運ばれることでうまくなった。これは関東産の酒には真似できなかった。

 明和年間(1764~1772年)の京の風俗を描いた二鐘亭半山(木室卯雲)の『見た京物語』には、京で「富士見酒」という酒が流行っていたと書かれている。

「酒は富士見酒とて一たび江戸へ乗出したるを賞翫(しょうがん)す」

 当時の京では、上方から船で江戸に輸出された酒を、さらに馬で東海道を逆戻りさせて運ぶ「富士見酒」が珍重されていた。富士見酒とは、海路と陸路で二度富士山を見た酒のことだった。

 なぜそのような手間とコストがかかることをしていたのかというと、輸送を繰り返すことで樽による熟成が進み、酒が美味しくなったからだ。

 ウィスキーやブランデー、ワインはオーク製の樽で寝かせることで、香りが移る。かつての日本酒も杉樽の香りが重視された。ただし、洋酒のように静かに寝かせるのではなく、船や馬による輸送で撹拌され、杉樽から香りが移った。

 また、輸送による樽の撹拌は杉の香りを移すだけでなく、酒をまろやかにする効果もあったらしい(飯野亮一『居酒屋の誕生』)。

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