「日本酒造り」はなぜ関東で進まなかったのか? 江戸時代まで「上方頼み」だった理由! 船の揺れが酒を旨くする秘密をご存じか

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江戸っ子が飲んでいた酒は、大坂など上方からの輸入物だった。江戸時代が下るにつれ、江戸の醤油は上方からの輸入物から関東産の醤油へと移行したが、酒については一貫して上方産が愛された。その背景には、「海路を船で運ぶ」ことで、より酒がうまくなったという事情があった。

上方の酒を支えた「吉野杉」

 酒に最も適した香りを持つ杉は、大和(現在の奈良県)の吉野杉とされていた。

「清酒の生命は吉野杉の木香である」(大阪朝日新聞経済部編『商売うらおもて』)

吉野杉の杉樽を使い、船で運ばれた上方の酒は、杉の香りが移り、関東産の酒には真似できない芳香を持っていた。

 一方、なぜ醤油の生産は関東で進んだのかというと、醤油では杉の香りが重視されなかったからだ。むしろ、杉の香りは嫌われていた。

 桜井由機「空樽と醤油」(小泉和子編『桶と樽』所収)によると、醤油樽は新品の杉の板ではなく、もっぱら中古の酒樽を再利用して作られていたという。醤油においては杉の香が嫌われていたので、杉の香が抜けきった中古の板のほうが樽の素材に適していたそうだ。

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