「日本酒造り」はなぜ関東で進まなかったのか? 江戸時代まで「上方頼み」だった理由! 船の揺れが酒を旨くする秘密をご存じか

キーワード :
, ,
江戸っ子が飲んでいた酒は、大坂など上方からの輸入物だった。江戸時代が下るにつれ、江戸の醤油は上方からの輸入物から関東産の醤油へと移行したが、酒については一貫して上方産が愛された。その背景には、「海路を船で運ぶ」ことで、より酒がうまくなったという事情があった。

銘酒生産地は各地に分散

 1924(大正13)年に、徳永ガラスが王冠が使用できる一升瓶のガラス瓶を製造、一升瓶が普及するようになる(石毛直道『食の文化を語る』)。

 1925年の大阪朝日新聞経済部編『商売うらおもて』には、「壜(ビン)詰めにする酒には吉野杉の鉋屑(かんなくず)が入つてゐるのを見た」とある。一升瓶が普及し始めた頃、吉野杉のおがくずを瓶に入れて、杉の香りを酒に移す試みもあったようだ。

 だが次第に一升瓶が普及し、樽での出荷が減少するなかで、人々は酒の杉の香りを重視しなくなった。

 その結果、吉野杉の樽を使った上方の酒の優位性は失われ、銘酒の生産地は全国に広がっていったのである。

全てのコメントを見る