八重洲地下街「50年前」の危機! 水没寸前! 都市インフラの脆弱性露呈も、工事現場の奇跡が東京を救った!
1970年の八重洲地下街水没危機は、都市インフラの脆弱性と現場判断の重要性を浮き彫りにした。高度経済成長期に誕生した地下空間のリスク管理は、今も進化を続けており、再開発が進む東京での災害リスクとのバランスが新たな課題となっている。50年前の教訓を生かし、未来の都市インフラに必要な視点が問われる時が来ている。
東京地下街の危機と教訓

東京駅前の八重洲地下街(中央区八重洲)は、1965(昭和40)年の開業以来、東京を代表する地下街として多くの人々に利用されてきた。
日本最大級の地下商業施設であり、首都圏のビジネスパーソンや観光客の行き交う要所となっている。しかし、この地下街には意外な過去がある。
それは50年以上前の1970年11月27日、八重洲地下街が水没しかけたという出来事だ。
現在の東京の都市計画に影響を与えたとも言えるこの危機を、経済的・技術的観点から振り返り、都市インフラの本質に迫る。
水害リスクと地下都市構造
八重洲地下街は、1960年代の高度経済成長期に生まれた。
日本経済の急成長にともない、東京駅周辺では大規模な都市開発が進められ、地下街の整備が求められた。これは単なる商業施設ではなく、地下駐車場や地下鉄、首都高速道路と一体化した
「立体的な都市機能」
を持つ先駆的な試みでもあった。しかし、当時の都市開発は現在のように綿密なリスクマネジメントが確立されていたわけではない。地下空間の活用は急務だったが、同時に地盤や水害のリスクと隣り合わせでもあった。
東京という都市の構造を理解するには、地下開発の背後にある「水」の問題を避けて通ることはできない。