汐留vs大阪、汐留はなぜ「敗北」したのか? 国鉄跡地の再開発! 導線、組織…成功と失敗を分けた要因を考える
国鉄清算事業団が抱えた「負の遺産」、汐留と梅田の巨大貨物駅跡地。2000年代、両地区は再開発の旗印のもと華々しく変貌を遂げた。しかし、2024年現在、明暗が分かれている。うめきたは「グランフロント大阪」が年間数千万人が訪れる一大拠点に成長。対照的に、汐留はオフィス空洞化と商業施設撤退が深刻化し、「都心のガラガラ施設」の烙印を押された。日本初の鉄道ターミナルと西日本の鉄道貨物輸送を支えた汐留と梅田に、なぜこれほどの差がついたのか。都市開発の光と影を追う。
うめきたの成功、汐留の失敗

大赤字を抱えて、1987(昭和62)年に分割民営化された国鉄――。その資産の一部を引き継いだ清算事業団が所有した東京の汐留駅と大阪の梅田貨物駅は、一等地にもかかわらず長年開発が進まなかった。
しかし、2000年代になってようやく動き出し、現在ではオフィスや商業施設、ホテルなどが立ち並んでいる。
ただし、梅田貨物駅を再開発して誕生したうめきた地区は、大阪駅周辺の新たなビジネス・商業・観光の中心として多くの人々が行き交っている一方で、汐留はテナントの撤退が相次ぎ、近年では
「都心のガラガラ施設」
として紹介されることが多くなっている。なぜこのような格差が生まれたのだろうか。本稿で詳しく解説する。