汐留vs大阪、汐留はなぜ「敗北」したのか? 国鉄跡地の再開発! 導線、組織…成功と失敗を分けた要因を考える
一等地とは思えない閑散な街になってしまった汐留

一方、汐留の再開発は31haの敷地を11の街区に分け、それぞれの土地を売却して開発が進められた。地区全体は「汐留シオサイト」と名付けられ、2002(平成14)年までに開発が完了した。ヒルトンの上位ブランド「コンラッド」の日本初進出となった「コンラッド東京」をはじめ、各街区には共同通信社やANA、富士通、ソフトバンクなどの大企業が本社を構え、多くの社員が働く場所となった。
特に1街区A地区には電通の本社ビルと劇団四季の劇場を中心にした複合商業施設「カレッタ汐留」が設けられ、汐留シオサイトのなかでも幅広い来場者を想定した街づくりが進められている。また、汐留シオサイトは基本的に新橋駅の東側に立地しているが、西街区は唯一山手線の内側にあり、石畳が敷かれたイタリアの街並みを再現した「イタリア街」が広がっている。ここには日本中央競馬会(JRA)の場外馬券販売所「ウインズ汐留」なども立地している。
汐留は開業当初、東京の新名所として注目されたが、各街区ごとに分けられて開発されたため、街全体としての統一感が欠け、導線もわかりにくかった(詳細は後述)。その結果、客離れが起こり、開業から10年ほど経った2013年には「都市開発の失敗例」と評されるようになった。
衰退を加速させたのは、2020年に始まったコロナ禍だ。入居していた企業が次々とリモートワークに切り替え、オフィス来場者が激減。従業員を対象に営業していたレストランも次々と閉店した。特にA街区に本社ビルを所有していた電通は、従業員の2割ほどしか出勤しなくなり、2021年にはビルごと売却した。周辺のカレッタ汐留も、2023年にはマクドナルドなどを含む半数のテナントが撤退し、ゴーストタウン化が進んだ。
筆者(宮田直太郎、フリーライター)も2023年頃、日曜日にカレッタ汐留を訪れたが、全フロアのテナントが撤退して入れなくなっている階層があったり、周辺の銀座や新橋では空席の見当たらない午後4時頃のカフェに空席が見られたりするなど、都心の一等地とは思えない閑散ぶりに驚愕した。その後もカレッタ汐留の状況は変わらず、東急プラザ銀座や渋谷サクラステージと並び、都心の失敗した商業施設としてYouTubeなどに取り上げられ、カレッタならぬ「枯れた」汐留と呼ばれることが多くなった。
また、B地区にある汐留シティセンターは先進的な外装で注目を集め、多くの企業テナントを抱えていたが、コロナ禍の影響でリモートワークが進んだ結果、富士通が本社機能を撤退させるなど、他の街区でもオフィスを中心とした賑わいが失われつつある。
さらに、汐留の高層ビル群は東京湾に近く、海から東京都心に吹く風を遮ることでヒートアイランド現象を悪化させたという指摘もあり、周辺環境を悪化させた上でこの閑散ぶりでは問題視されるのは仕方ない。
汐留とうめきた。両者とも大都市の一等地に位置する巨大敷地の開発であり、駅直結であることも共通している。周辺には百貨店の旗艦店や大型ショッピングセンター、個性豊かな個人店が並ぶ日本屈指の繁華街が控えているという点も似ている。しかし、なぜこのような格差が生まれたのか。
筆者はその理由として以下の2点が大きく関わっていると考える。
・街としての一体感を統括する団体の権限
・歩行者目線での導線確保
この2点を踏まえて、うめきた(特に一期のグランフロント大阪)と汐留シオサイトを比較したい。