汐留vs大阪、汐留はなぜ「敗北」したのか? 国鉄跡地の再開発! 導線、組織…成功と失敗を分けた要因を考える

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国鉄清算事業団が抱えた「負の遺産」、汐留と梅田の巨大貨物駅跡地。2000年代、両地区は再開発の旗印のもと華々しく変貌を遂げた。しかし、2024年現在、明暗が分かれている。うめきたは「グランフロント大阪」が年間数千万人が訪れる一大拠点に成長。対照的に、汐留はオフィス空洞化と商業施設撤退が深刻化し、「都心のガラガラ施設」の烙印を押された。日本初の鉄道ターミナルと西日本の鉄道貨物輸送を支えた汐留と梅田に、なぜこれほどの差がついたのか。都市開発の光と影を追う。

格差が生まれた理由「その2」

周辺地図(画像:シオサイト・タウンマネージメント)
周辺地図(画像:シオサイト・タウンマネージメント)

 統一感の有無は駅からの導線にも影響を与えた。汐留シオサイトへのアクセスは、新橋駅と汐留駅のふたつの駅から可能だが、最も利用される新橋駅からは長い地下街を歩かなければならない。地上から移動しようとすると、道路の横断歩道は限られており、街区を越えて移動するためには、まずどこかのビルに入って上層部のデッキを目指す手間がかかる。汐留駅は新橋駅より近いが、地下が深く、移動は非常に大変だ。

 また、東京最大の繁華街である銀座も距離的には近いが、首都高や交通量の多い海岸通りが境界となっているため、地上を歩いて移動するのは難しく、途中で上り下りしながらアクセスする面倒な経路をたどらなければならない。車でのアクセスも、第一京浜や海岸通りといった交通量の多い道路に面しており、複雑な形状をした蓬莱橋交差点などがあるため、運転するのもなかなか大変な立地だ。

 この動線の問題について、前述の汐留地区街づくり連合協議会のページを確認したが、新橋駅や汐留駅、浜松町駅、銀座エリアなどからのアクセス改善に関する提案はなかった。むしろ、アップダウンの多いデッキでの移動について

「歩行者と自動車の動線を分離した立体的な導線計画」

と特徴づけており、歩行者の視点が欠けているのではないかと思わせる記述だった。

 一方、梅田はその複雑な地下街で“迷宮”とも呼ばれることで有名だ。実際、地図を頼りに歩いて、一番端まで来たと思っても、実際にはまだ道が続いていて、どこが出口かわからず困ったことがある人も多いだろう。しかし、新たに開発されたうめきた地区では、グランフロント大阪TMOがJR西日本、阪急、大阪メトロの5者とともに「梅田地区エリアマネジメント実践連絡会」を立ち上げ、梅田地区のエリアマネジメントに乗り出している。その中核のひとつには、歩道の拡張やサインの充実など、より歩きやすい街づくりを目指す「Walkable Umeda構想」があり、歩行者の利便性を重要な取り組みとして捉えている。

 また、エリアマップの発行も定期的に行っており、うめきたエリアからJR大阪駅、阪急梅田駅、阪神梅田駅などの駅や、西梅田、茶屋町、ダイヤモンド地区といった梅田エリア全体を考慮した街づくりを進めている。そのため、大阪駅周辺に訪れた人々がうめきた地区にも回遊しやすい流れが作られ、多くの人々が訪れる施設ができたと思われる。

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