汐留vs大阪、汐留はなぜ「敗北」したのか? 国鉄跡地の再開発! 導線、組織…成功と失敗を分けた要因を考える
国鉄清算事業団が抱えた「負の遺産」、汐留と梅田の巨大貨物駅跡地。2000年代、両地区は再開発の旗印のもと華々しく変貌を遂げた。しかし、2024年現在、明暗が分かれている。うめきたは「グランフロント大阪」が年間数千万人が訪れる一大拠点に成長。対照的に、汐留はオフィス空洞化と商業施設撤退が深刻化し、「都心のガラガラ施設」の烙印を押された。日本初の鉄道ターミナルと西日本の鉄道貨物輸送を支えた汐留と梅田に、なぜこれほどの差がついたのか。都市開発の光と影を追う。
格差が生まれた理由「その1」

グランフロント大阪と汐留シオサイトのウェブサイトをスマートフォン画面で見た場合、後者はその対応が十分ではない設計になっている。
最大の違いは、街としての一体感を持つ開発があるかどうかだと、数多くの報道で指摘されている。うめきた一期のグランフロント大阪では、地域を大まかに三つに分けて入札対象とし、2012(平成24)年に街づくりを一元的に担当する「グランフロント大阪TMO」を設立した。再開発に参加した12社の意見を反映させ、統一感のある街づくりを実現した。このグランフロント大阪TMOは、現在もPR活動の中心となり、イベント情報などが頻繁に更新されている。
一方、汐留は十数個の街区で整備を行い、それぞれの街区ごとに個別に入札を実施した。「汐留地区街づくり連合協議会」を設立したが、これは法人形態ではなく、イベントプロモーションやメディア運営、梅田エリアのバス「UMEGLE」の運行なども行うグランフロント大阪TMOと比べると、取り組みが少ない。実際、グランフロント大阪と汐留地区街づくり連合協議会のウェブサイトを両方訪れると、後者は素人の筆者から見ても古いデザインで、スマートフォンにも十分に対応できていないことがわかる。これにより、街づくりに対する権限が低く、街としての一体化が進みにくかったことが感じ取れる。
その結果、汐留シオサイトは建物ごとに異なる設計となり、統一感に欠ける街になった。個々の建物は一流の設計者や施工者による優れたものだが、それらが集まった街として見ると、同じ高さなのに階数が異なるなど不自然な部分が目立つ。汐留の開発では、街づくりを一体的に行える権限の強い組織が不在だったため、グランフロント大阪のような設計が実現できなかったといえる。