汐留vs大阪、汐留はなぜ「敗北」したのか? 国鉄跡地の再開発! 導線、組織…成功と失敗を分けた要因を考える

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国鉄清算事業団が抱えた「負の遺産」、汐留と梅田の巨大貨物駅跡地。2000年代、両地区は再開発の旗印のもと華々しく変貌を遂げた。しかし、2024年現在、明暗が分かれている。うめきたは「グランフロント大阪」が年間数千万人が訪れる一大拠点に成長。対照的に、汐留はオフィス空洞化と商業施設撤退が深刻化し、「都心のガラガラ施設」の烙印を押された。日本初の鉄道ターミナルと西日本の鉄道貨物輸送を支えた汐留と梅田に、なぜこれほどの差がついたのか。都市開発の光と影を追う。

梅田貨物線地下化でアクセス向上

グランフロント大阪(画像:写真AC)
グランフロント大阪(画像:写真AC)

 まず、梅田貨物駅、通称「うめきた」地区の再開発について簡単に説明しよう。同地区の再開発は、2002(平成14)年に都市再生緊急整備地域に指定され、事業が始まった。最初に、大阪駅に近いエリアから取り掛かり、2004年に都市計画が決定された後、都市再生機構(UR)が開発事業者の募集を開始。最終的に、オリックス不動産や三菱地所を中心に12業者が提案し、開発が進められた。

 2013年には、企業や大学の研究開発施設や体験施設が入る「ナレッジキャピタル」や高級ホテル「インターコンチネンタル大阪」などを中心にした複合施設「グランフロント大阪」が開業。この施設は、独自性の高い体験施設の多さで注目され、開業から3年10か月で来場者数が2億人を突破し、非常に高い人気を集めた。この数字は六本木ヒルズよりも1年2か月早いもので、過去20年余りの間で有数の成功事例となった。2023年には累計来場者数が4.7億人に達し、今も勢いは衰えていない。

 グランフロント大阪開業と同じ2013年に梅田貨物駅が正式に廃止され、その後、梅田貨物線の地下化や土地区画整備などが進められた。2023年2月13日には梅田貨物線が地下化され、3月18日には「大阪駅」が開業。これにより、従来大阪駅を通過していた「はるか」や「くろしお」が停車するようになり、関空や和歌山方面からのアクセスが向上した。また、おおさか東線も乗り入れるようになり、梅田エリアの活気がさらに増した。

 さらに、うめきた2期「グラングリーン大阪」が2024年から順次オープン。JR大阪駅直結の大規模公園「うめきた公園」や、日本初進出のヒルトン系列最高級ブランドホテル「ウォルドーフ・アストリア」、都市型スパ「うめきた温泉 蓮」などが中心となり、商業施設やオフィスも整備された大型の街となっている。商業施設には、世界各地で観光案内雑誌を発行している「タイムアウト」の編集者が厳選したレストランやバーを集めたフードマーケット「タイムアウトマーケット大阪」などもあり、関西や日本初進出の施設が多く、早くも話題を呼んでいる。

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