沖縄の「この場所」に、なぜ橋を作らないのか?

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八重山諸島を結ぶ架橋構想は1968年に提案され、当時の経済振興計画の一環として地域開発の転換点を迎えた。技術的な挑戦や環境への影響を乗り越える中で、石垣島と西表島を結ぶ橋がもたらす輸送革命とその後の観光・産業発展の可能性は、今なお地域経済に大きな影響を与えている。

サンゴ礁破壊と架橋計画の真意

西表島(画像:写真AC)
西表島(画像:写真AC)

 当時の行政は、この構想を単なる夢物語ではなく、真剣に実現すべき計画と捉えていた。

 日本科学技術振興財団が発行していた月刊誌『日本の科学と技術』1971年5月号には、科学技術庁資源研究所調査官の尾崎清文氏が

「沖縄の石西海上道路構想の意義」

という論文を寄稿している。この論文では、当時の国内フェリー需要を踏まえ、将来的にカーフェリーを使った国際観光ルートが活性化すると予測している。実際、クルーズ船の発着が増加している現状を見ると、この見解は間違いではないといえる。さらに、石垣島と西表島を結ぶ架橋が、日本を拠点とした国際観光ルートの重要な一環として必要だと強調されている。

 論文では、琉球新報に掲載された内容よりも詳細な架橋計画が述べられている。具体的には、石垣島から西表島までの道路全体は約33kmで、そのうち海上部分は26km、陸上部分は7kmとなる。また、小浜島から西表島間は水深約20mの深さがあり、大規模な橋梁が必要と推定されている。海底地形や気象の調査が必要とはいえ、架橋の実現に向けた課題についても明確に言及されている。

「石垣島と西表島間に発達しているコーラルリーフ(注:サンゴ礁)によって囲まれる海面は石西礁湖と呼ばれ、波静かな内海である。構想路線の大部分はこの内帯を通るもので、外帯のリーフは常に台風の激浪に対し天然の防波堤になっている」

『琉球新報』でも「リーフ伝に」という表現が使われていたが、この計画はサンゴ礁を破壊し、大規模な架橋を実現することを目的としていた。現代の自然保護の観点から見ると、非常に大胆な計画であったといえる。しかし、この論文では、サンゴ礁を破壊してでも橋を建設する必要性について次のように説明している。

「西表島と石垣島の交通機関は、現在満潮時を利して16トンの小型木造船が1日1就航しているにすぎない。その所要時間は2時間30分で、海上が少し荒れると欠航をよぎなくされる。海上道路は、台風時を除けば時速100キロとして20分で救急車、スクールバス等を運行することができ、西表島の現人口2800人が無医地区から、また僻地教育から解放されることになる」

 現在、石垣島から西表島への航路は、大原港行きが1日6便、上原港行きが4便の運航である。この状況を踏まえると、西表島は

「絶海の孤島」

のような印象を受ける。生活水準を向上させ、孤立から脱却するためには、環境や豊かな自然を重視する余裕はないというのが、当時の主流の考えだっただろう。

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