沖縄の「この場所」に、なぜ橋を作らないのか?
架橋計画で描かれる新産業地図

石垣島と西表島間の架橋構想が登場した背景には、八重山諸島の開発遅延がある。この構想は1968年1月6日号の『琉球新報』に大きく報じられ、記事は「西表島に“夢のかけ橋” 八重山総合開発の青写真」と題された。記事の冒頭では、八重山が資源の多様性に恵まれながら開発が遅れていることが指摘され、次のように記されている。
「琉球列島で、いまもっとも資源の多様性に恵まれながら開発が遅れているのは、なんといっても八重山だ。“未開の宝庫”西表島を抱く日本最南端の八重山諸島――。その開発は幾度もくり返し叫ばれてきた」
この記事を執筆したのは岡田輝雄(八重山支局長)。文中には「青写真づくりに協力して頂いたのは八重山の浦本寛二(八重山地方庁長)・石垣喜興(石垣市長)・白保生雄(竹富町長)」との記載があり、これは『琉球新報』側から持ちかけられた企画であると推測される。架橋プランの概要は次のとおりだ。
「石垣港から西表島東北部海岸まで約20キロ、途中の海は潮流がウズ巻き、波浪が高く直通はムリ。そこで、リレー式架橋が考えられる。石垣港からリーフ伝いに竹富島へ。竹富島から再びリーフ伝いに小浜島へ。小浜から西表島の小離島・由布島へ。由布から西表本島は陸続きなので問題ない。(中略)技術的に困難ではあるが、不可能ではない。橋の専門家も「できる」と判断している」
技術的な説明は簡略化されており、「橋の専門家」が誰なのかは不明だが、この記事の主張は資金調達が唯一の障害だとしている。記事では、架橋に必要な予算を1mあたり1000ドル(当時1ドル = 360円)とし、総額2000万ドルを見込んでいる。また、この費用は毎年1万人の観光客がひとりあたり50ドルを支払えば60年で償還可能だと計算されている。
この記事の大半は、架橋後の開発構想について詳述している。具体的な構想は次のとおりだ。
・西表島を横断するアスファルト道路の建設
・浦内川に3000キロワットの水力発電所を建設
・西表島各地に干拓を実施し、大規模機械化農業で水田を運営、米を本土に輸出
・毎年2万頭の肉牛を飼育し、そのうち5000頭を本土に輸出
・竹富島~小浜島周辺に海中公園を整備
・「ツリ・マニア(原文ママ)」向けの釣り観光を振興
これらの構想は、高度成長期にしばしば見られた夢の開発プランの典型である。