沖縄の「この場所」に、なぜ橋を作らないのか?

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八重山諸島を結ぶ架橋構想は1968年に提案され、当時の経済振興計画の一環として地域開発の転換点を迎えた。技術的な挑戦や環境への影響を乗り越える中で、石垣島と西表島を結ぶ橋がもたらす輸送革命とその後の観光・産業発展の可能性は、今なお地域経済に大きな影響を与えている。

八重山諸島の島々

石垣島と西表島(画像:国土地理院)
石垣島と西表島(画像:国土地理院)

 筆者(碓井益男、地方専門ライター)は、これまで当媒体で「佐渡島と新潟の「この場所」に、なぜ橋を作らないのか?」など、架橋に関する記事を執筆してきた。今回は、八重山諸島に注目する。八重山諸島(八重山列島とも呼ばれる)は、沖縄県に属し、南西諸島西部に位置する島々で、石垣島を中心に12の有人島と多くの無人島が点在している。

 そのなかで、西表島は沖縄本島に次いで2番目、石垣島は3番目に大きい島だ。行政区分では石垣市、八重山郡竹富町、同郡与那国町の1市2町が該当するが、今回は石垣島、竹富島、西表島を中心に取り上げる。

・石垣島(石垣市)
・竹富島(竹富町)
・小浜島(竹富町)
・西表島(竹富町)

は、比較的近い距離にあるにもかかわらず、橋は存在しない。これらの島々への移動はすべて船を利用することになり、石垣島のユーグレナ石垣港離島ターミナルから出発する。竹富町観光協会のウェブサイトによると、移動時間は石垣港から竹富島まで10~15分、小浜島まで20~30分、西表島まで35~60分だ。

 これらの島々への架橋構想は、1968(昭和43)年に米軍占領下で提案された。当時、沖縄では日本への復帰に向けた動きが加速し、その中で復帰後の経済振興プランも政財界で多く提案されていた。沖縄返還協定は、1971年に調印されることとなった。

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