阪神淡路大震災で衰退! 「六甲アイランド」は再生できるのか? 人口減少と震災の傷跡、広がる再開発の挑戦とは
神戸市の代表的な人気スポットだった東灘区の六甲アイランドは、1995年の阪神淡路大震災をきっかけに急速に衰退した。あれから30年が経過し、かつての活気を失ったこの街は現在どうなっているのか。
六甲アイランドの街開きと発展

六甲アイランドは中央区のポートアイランドに続く人工島として1988(昭和63)年に街開きした。広さ約600ha(6平方キロメートル)。東灘区の本土と鉄道道路併用橋の六甲大橋で結ばれ、JR住吉駅や阪神電鉄魚崎駅に通じる延長4.5kmの六甲ライナー(神戸新交通六甲アイランド線)が住民の足となる。
六甲ライナーは六甲アイランドの中央部を南北に走る。アイランド北口、アイランドセンター、マリンパークの3駅から徒歩圏内に住宅エリア、アイランドセンター駅周辺に商業施設やホテル、住宅エリアの外側に工場や港湾施設、物流拠点などが置かれている。住環境に配慮した設計だ。
他の人工島では土地造成費が障害になってあまり見られない戸建て住宅地があるほか、バブル期に整備されたからか、六甲ライナー下に延長約1kmの親水空間を設け、本土から水を引いた。東灘区本土にある高級住宅地に負けない豪華さも意識したのだろう。