駅弁の魂は失われた? もはや「東京駅で買えるものばかり」 滋賀・老舗弁当屋の撤退が示す食文化の娯楽化とは?

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井筒屋の駅弁事業撤退が示す、日本の駅弁文化の変容。地域性や伝統が重視されていた駅弁が、利便性追求の商業化や工業製品化により、次第にその存在感を失いつつある。従来の駅弁業者が撤退を余儀なくされる背景を探り、地域文化を守るための新たな取り組みが求められている。駅弁の未来と地域性の再考が、今後のカギを握る。

135年の伝統、消える駅弁文化

駅弁(画像:写真AC)
駅弁(画像:写真AC)

 2025年1月、滋賀県米原市の老舗駅弁業者「井筒屋」が駅弁事業からの撤退を発表した。1889(明治22)年の創業以来、135年以上にわたり、東海道本線と北陸本線が交わる米原駅で駅弁を販売してきた井筒屋の決断は、大きな注目を集めた。

 8代目当主の宮川亜古代表取締役は、撤退の理由について公式サイトで

「昨今の食文化は娯楽化がもてはやされ、誤った日本食文化の拡散、さらには食の工業製品化が一層加速し、手拵えの文化も影を潜めつつあります」

と述べ、「そのような環境に井筒屋のDNAを受け継いだ駅弁を残すべきではないと判断致しました」と説明している。

 この決断に対して、『震災と鉄道』『「民都」大阪対「帝都」東京 思想としての関西私鉄』などの著作がある鉄道史研究者の原武史氏はX(旧ツイッター)で

「井筒屋は近江牛とか醒ヶ井の鱒とか、地元産の食材にこだわっていた。東海道本線から北陸本線が分岐する米原でしか味わえない駅弁にこだわっていた。この挨拶文は、東京駅でも買える駅弁ばかりになってしまったいまの駅弁文化に対する、渾身の一撃になっていると思う」

とコメントしている。原氏の言葉からは、井筒屋の撤退が単なる経営判断を超えて、日本の駅弁文化の本質が浮かび上がってくる。

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