駅弁の魂は失われた? もはや「東京駅で買えるものばかり」 滋賀・老舗弁当屋の撤退が示す食文化の娯楽化とは?

キーワード :
, ,
井筒屋の駅弁事業撤退が示す、日本の駅弁文化の変容。地域性や伝統が重視されていた駅弁が、利便性追求の商業化や工業製品化により、次第にその存在感を失いつつある。従来の駅弁業者が撤退を余儀なくされる背景を探り、地域文化を守るための新たな取り組みが求められている。駅弁の未来と地域性の再考が、今後のカギを握る。

駅弁は「衰退産業」

井筒屋「駅弁事業からの撤退のご挨拶」(画像:井筒屋)
井筒屋「駅弁事業からの撤退のご挨拶」(画像:井筒屋)

 駅弁が現在「衰退産業」であるのはいうまでもない。衰退は1990年代から顕著になっている。コンビニエンスストアの台頭がその大きな要因とされてきたが、単なるコンビニ弁当との競争だけで説明できるものではない。そこには、より複雑で構造的な問題が絡んでいる。

 その構造的な問題を示す具体例がある。1991(平成3)年9月9日付『朝日新聞』夕刊には、

「旅の道連れ主役交代 コンビニ弁当に押され福岡・二日市から駅弁消える」

という記事が掲載されている。この記事は、太宰府天満宮の玄関口であるJR鹿児島線・二日市駅での駅弁販売終了を報じている。この駅では、1969(昭和44)年から佐賀県鳥栖市の業者が駅弁を販売しており、国鉄の民営化後も駅構内にコンビニエンスストアが出店し、そこでも駅弁が販売されていたが、最終的に撤退を余儀なくされた。

記事はその理由について、次のように指摘している。

「コンビニ店では駅弁が姿を消したあとも、四百円台が中心の電子レンジで温められる弁当類は引き続き人気を得ており、駅弁の不振は七百円を超える値段と、「冷たいご飯」が原因らしい」

 この点からも興味深い事実が浮かび上がる。すでに1991年の段階で、電子レンジで温められる400円台のコンビニ弁当が支持を集めていた一方で、700円を超える冷たい駅弁は、車内での食事として消費者に選ばれなくなっていた。このことから、駅弁は価格と品質の両面で、実用的な車内食としての地位を失っていたことが伺える。

全てのコメントを見る