浸水隠ぺいだけじゃない? JR九州「クイーンビートル」再開断念の裏側とは? 30年の航路を支えた苦闘を振り返る
日韓航路に新風を吹き込んだ高速船

この航路は1991(平成3)年3月に誕生した。それまでは関釜フェリーが日韓間の航路を独占していたが、所要時間が通関待ちを含めて約15時間半かかっていた。これに対して、JR九州は高速船(ジェットフォイル)を導入し、所要時間を2時間50分に短縮することを目指した。
当初、この航路は空路に対して大きな優位性を持っていた。福岡~釜山間の航空運賃は片道1万5700円で、高速船は1万2400円と安価だった。また、高速船は釜山市街地に近い港に到着するため便利だった。航空便は福岡空港から金海国際空港まで50分と短かったが、金海空港から市街地へのアクセスにはバスを利用する必要があり、待ち時間を含めると高速船とほぼ同じ所要時間になっていた。
航路が開設された1991年は、韓国の経済発展と日韓交流の拡大期にあたる。1989年1月に韓国で海外渡航が自由化されると、訪日客が急増した。同年1~4月は17万6891人となり、前年同期の8万5171人から倍増した。この時期、地理的に近い九州各地では、韓国との交流拡大をビジネスチャンスと捉え、航路開設が相次いだ。『西日本新聞』1990年3月29日朝刊では、次の航路が開設・開設予定であることが報じられている。
・長崎~済州島(日本海洋高速・高速船)
・福岡~麗水(福岡国際フェリー・カーフェリー)
・福岡~馬山(国際高速フェリー・カーフェリー)
・福岡~釜山(近海郵船・カーフェリー)
特に福岡市は観光を超えた経済交流のハブを目指していた。1989年のアジア太平洋博覧会を契機に
「アジアの拠点都市」
構想が打ち出され、博多港の外航施設整備が進められた。また、好景気も追い風となり、市内では1989年1~10月だけで2065社もの新規企業が設立され、翌年には韓国領事館も開設された。アジアとの経済交流への期待が高まっていたなかで、JR九州は高速船事業への参入を決断した。