1983年『スチュワーデス物語』で爆発的人気! 客室乗務員はどのようにして「おもてなしの達人」になったのか? 戦後の日本を彩った「憧れの職業」の進化とは

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日本初の客室乗務員が誕生した背景には、戦争や社会の変化が大きな影響を与えている。最初は「エアガール」として登場し、その後「スチュワーデス」や「CA」と呼ばれるようになった。女性の社会進出や航空業界の発展とともに、客室乗務員の役割や呼称も変化していった。

ジャンボ導入で激変した業務

ボーイング747が富士山をバックに飛行する様子(画像:San Diego Air and Space Museum)
ボーイング747が富士山をバックに飛行する様子(画像:San Diego Air and Space Museum)

 1964(昭和39)年に日本人の海外旅行が自由化され、1965年には「ジャルパック」がスタートし、航空需要が飛躍的に伸びていく。B747(通称ジャンボ)の就航も控え、客室乗務員の大量採用も始まった。

 この需要に応えるようにスチュワーデス予備校がつくられ、英会話や日本や世界の地理、美容マナー、言葉遣いなどが元スチュワーデスの講師によって教えられた。スチュワーデスは女子の「なりたい職業」でも上位にランクインすることになり、花形の職業として確立していくことになる。

 ジャンボの導入は客室乗務員の業務にも変化をもたらした。客席の増加とともに、座席数を埋めるための割引運賃が登場し、航空機を使った“旅行の大衆化”が進むが、乗客の増加により機内サービスの提供はより大変になった。一方で、B747は速度がそれほど出なかったため長時間のフライトとなり、機内サービスはますます重要になっていく。

 客室乗務員の数も必要になり、1970年代前半には日本航空が1000人規模の採用を行い、「乗員訓練センター」で集中的に訓練するという形がとられるようになった。ジャンボの導入とともに客室乗務員の仕事には今まで以上に体力が求められるようになっており、1976年の日本航空の採用試験では

「反復横跳び」

などの体力検査が導入されている。

 これだけの大量採用の裏には客室乗務員が3年程度で辞めていくという出口の問題もあったが、1974年に日本航空が「未婚条項」、1980年に「出産条項」を撤廃したこともあり(それまで既婚、子持ちの女性はそれぞれ客室乗務員になれなかった)、1980年代初頭には在職年数は5年程度にまで伸びていった。

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