1983年『スチュワーデス物語』で爆発的人気! 客室乗務員はどのようにして「おもてなしの達人」になったのか? 戦後の日本を彩った「憧れの職業」の進化とは
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日本初の客室乗務員が誕生した背景には、戦争や社会の変化が大きな影響を与えている。最初は「エアガール」として登場し、その後「スチュワーデス」や「CA」と呼ばれるようになった。女性の社会進出や航空業界の発展とともに、客室乗務員の役割や呼称も変化していった。
待遇改善と変化

エアガールが再び注目を集めたのは、戦争がきっかけだった。
1937(昭和12)年、日中戦争が始まると中国大陸への輸送需要が軍民とも急激に増加した。兵士だけでなく、官僚や報道関係者、ビジネスマンなどを運ぶために、東京から福岡を経由して大連や上海などに向かう便などが整備され、それに乗務するエアガールが求められたのだ。
エアガールの待遇もよくなり、彼女たちを「エロ」と見る視線なども愛国心の高まりとともに消え去った。機窓案内の業務は残っていたものの、福岡・上海線になるとほぼ海の上を飛んでいるため、ほとんど説明すべきものがなかったという。
一方、この時期に重要な仕事となったのが
「飛行機に酔ってしまった乗客の介抱」
だった。当時は与圧装置が未発達であり、飛行訓練を受けていない民間人を乗せる旅客機は低い高度で飛んでいた。そのため、天候の影響などにより揺れることが多く、嘔吐(おうと)袋が必須だったという。
しかし、このエアガールも1941年9月、太平洋戦を前にして廃止されてしまう。対外関係の悪化から、航空燃料や機材が枯渇し、エアガールを乗せる余裕はなくなっていたのだ。