大阪はなぜ「ため池」だらけなのか? 1平方kmあたりの密度「全国2位」の納得理由
大阪府には1万1102か所のため池があり、1平方キロメートルあたりの密度は全国で2位だ。降水量が全国平均を下回る中、農業用水を確保するために古代から多くのため池が築かれてきた。これらのため池は歴史的にも重要な水利システムの一部となっている。特に狭山池は日本最古のため池で、先進的な技術「敷葉工法」が使われている。地形や水利の発展が、古代大阪の繁栄を支えてきた。
仁徳天皇の治水革命と農地開発

同じ時期に、仁徳天皇は淀川の流路を安定させるために「茨田堤(まむたのつつみ)」を築いたとされる。この堤防の痕跡は、河内平野北部を流れる古川沿いに残っており、考古学的に実際に築かれたことが確認されている。
この治水事業の成果として、仁徳天皇13年には「茨田屯倉(まむたのみやけ)」が設置されたことが『日本書紀』に記されている。屯倉は
「ヤマト王権の直轄支配地」
で、新たに開発された肥えた農地を効率的に管理するために設置されたと考えられている。これらの記述から、一連の大規模な土木工事によって新しい農地開発が進められたことがわかる。また、『古事記』にも次のように記されている。
「作茨田堤及茨田三宅、又作丸邇池・依網池、又掘難波之堀江而通海、又掘小椅江、又定墨江之津」
茨田堤および茨田三宅を作り、また丸邇池(わにのいけ)や依網池(よさみのいけ)を造り、難波の堀江を掘って海に通し、小椅江(おごしえ)を掘り、墨江(すみのえ)の港を整備したのだ。
丸邇池は現在の大阪府富田林市にある粟ヶ池、依網池は現在の大阪市住吉区にあった池(現在は碑が立っている)と考えられている。これらの記録は、古代から大阪地域で広範囲にわたるため池の整備が行われていたことを示す重要な証拠となっている。
仁徳天皇の在位は4世紀後半から5世紀前半とされている。このように、王権による早期からの計画的な開発と、それを支える高度な土木技術が、大阪に多くのため池が存在する根本的な理由だろう。この古代からの水利システムの伝統が、現在まで続く大阪の豊かな水文化の基盤となっているのだ。