大阪はなぜ「ため池」だらけなのか? 1平方kmあたりの密度「全国2位」の納得理由
大阪の繁栄、千年の証し
ところで、大阪平野の最大の特徴は、古代以降も途切れることなく都市が繁栄し続けたことだ。この点を他の古代都市と比較すると、大阪の特異性が際立つ。
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例えば、奈良時代(710~794年)の都である平城京が置かれた奈良市は、平安京への遷都後も宗教都市として存在したが、その規模は大きく縮小した。同様に、平安時代(794~1185年)以降、日本の政治や文化の中心となった京都も、江戸時代(1603~1868年)には奈良ほどではないものの、政治的・経済的地位を失った。
一方、大阪は時代とともにその姿を変えながらも、一貫して繁栄を続けてきた。7世紀の難波宮の時代には古代国家の中心として、その後は瀬戸内海交易の拠点となる港湾都市として発展した。中世には四天王寺を中心とした宗教都市になり、16世紀末には石山本願寺や豊臣秀吉による大坂城の築城によって、戦国時代を代表する都市に変貌を遂げた。
江戸時代には「天下の台所」と呼ばれる経済の中心地となり、現代に至るまで日本を代表する大都市であり続けている。都が置かれた期間は短いが、都市としての歴史は京都よりもはるかに古く、その繁栄の継続性は他には見られない。
大阪が長期にわたって繁栄を続けた背景には、古代から連綿と続く
・運河
・治水
・ため池
といったインフラの整備がある。特にため池は、農業用水の確保だけでなく、洪水調整や生活用水の供給など多目的に機能し、都市の持続可能性を高める重要な役割を果たしてきた。
大阪に多数存在するため池が示唆するのは、適切なインフラ整備が50年や100年といった短期的なスパンではなく、1000年単位で地域の発展に影響を及ぼすという重要な事実なのである。