深谷駅になぜ急行が停車したのか? 国鉄への圧力が生んだ“我田引鉄”の実態、憎めない昭和の利権政治家「荒舩清十郎」をご存じか

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深谷駅急行停車は、1966年に運輸大臣の荒舩清十郎が、自身の選挙区の利権を優先し、国鉄に圧力をかけたことがきっかけで起きた。この件について、メディアは「我田引鉄」と批判し、荒舩の信頼性は大きく損なわれた。この件は公共の利益と政治家の自己中心的な行動の対立を示しており、今でも政治における倫理の重要性を訴える教訓となっている。

地元支持と辞任のはざま

佐藤栄作は1964年11月9日に内閣総理大臣に就任した(画像:首相官邸)
佐藤栄作は1964年11月9日に内閣総理大臣に就任した(画像:首相官邸)

 当時報じられた疑惑は次の通りである。

・大阪拘置所の土地交換に関わる恐喝疑惑について、同年8月に逮捕された田中彰治衆議院議員とともに大阪で関係者と面談していたこと。
・運輸大臣就任後、国鉄工事関係者など各業界と懇談会を開催し、その度に自身の後援会関係者が顔を出して後援会への入会勧誘を行っていたこと。
・後援会の会員と、特に名前を伏せるとされた女性が経営する上野駅構内の食堂「あきやま」が繁盛しているとして、店舗面積の拡張を国鉄に要求したこと。
・同年9月にソウルで開かれた日韓経済閣僚懇談会に出席する際、民間業者2人を随行員として同行させたこと。

 これだけの疑惑が積み重なると、深刻な政治問題に発展する。さらに、前述の佐藤内閣に関わる一連のスキャンダルも影響し、自民党への批判が高まり、「黒い霧事件」と呼ばれるようになった。この後、12月27日に佐藤内閣は衆議院を解散し、これが「黒い霧解散」と名付けられることになる。

 こうした騒動のなかで、10月11日、荒舩は運輸大臣の座を追われた。このとき、彼は正座して頭を垂れていたが、放言は止まらなかった。辞任の理由を次のように語っている。

「悪いことがあったとは思わない。ただ、今は世論政治だから、世論の上で佐藤内閣にマイナスになると、党員として申訳ないので辞める」(『朝日新聞』1966年10月12日付朝刊)

 この言葉から、荒舩は自分に悪意はないと考えていたことがわかる。翌1967(昭和42年1月の衆議院選挙では、

「代議士が地元のために働いてどこが悪い。深谷駅に急行を止めて何が悪い」

と演説し、支援者から喝采を浴びている。

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