深谷駅になぜ急行が停車したのか? 国鉄への圧力が生んだ“我田引鉄”の実態、憎めない昭和の利権政治家「荒舩清十郎」をご存じか

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深谷駅急行停車は、1966年に運輸大臣の荒舩清十郎が、自身の選挙区の利権を優先し、国鉄に圧力をかけたことがきっかけで起きた。この件について、メディアは「我田引鉄」と批判し、荒舩の信頼性は大きく損なわれた。この件は公共の利益と政治家の自己中心的な行動の対立を示しており、今でも政治における倫理の重要性を訴える教訓となっている。

深刻化する問題

防衛庁長官着任時の上林山栄吉。1966年8月撮影(画像:防衛省)
防衛庁長官着任時の上林山栄吉。1966年8月撮影(画像:防衛省)

 8月5日、田中彰治衆議院議員が職権を利用して政財界の癒着を追求する姿勢を見せていたが、裏では関係者を恐喝し、金品をせしめていたことが発覚し、逮捕された。続いて9月2日、上林山栄吉防衛庁長官が地元の鹿児島に帰郷する際、自衛隊機を使用し、陸上自衛隊の音楽隊を使って自分のパレードを行った。また、友人や後援者を自衛隊機に同乗させていたことも明らかになり、公私混同として激しい批判を浴びた。

 こうした事件が相次いだことで、荒舩の問題も内閣を揺るがす大きな問題として捉えられるようになった。佐藤首相からの指示を受けた荒舩は、9月5日に謝罪の記者会見を開かざるを得なくなった。読売新聞の1966(昭和41)年9月6日付の記事には、「持ち前の歯切れのよい怪気炎は、ついに出ずじまい」と書かれ、荒舩が反省の意を示していたことが伺えるが、記事に記された発言内容からは謝罪の姿勢が感じられなかった。

「行の深谷駅停車は、大臣になる前にも、国鉄に陳情していたもんだ」
「第一、こんどのダイヤ改正で全国で三十四駅も急行がとまるようになったじゃないか」

と主張した。さらに、

「きのうから、熱が出てコレラにかかったみたいだ」
「あんなことが、新聞に出て、政治家は、切腹寸前だよ」

と放言していた。

 ここで明確に謝罪しなかったためか、9月12日の参議院運輸委員会では、荒舩が野党から厳しい追及を受けることになった。さらに、国鉄の石田総裁が火に油を注ぐような発言をした。議事録によると、荒舩からの急行停車を巡る圧力について、石田は次のように答弁した。

「大臣が私に対して、直接じゃない、これは今村常務を通して申したのでありますが、一つくらいはいいじゃないかと、こういうことを私は聞いておる。これは何か新聞社がちょっと筆を走らしたせいじゃないかと思いますが、私はそういうことは知らぬ。いずれにしても、私としては、こういうことで大臣から希望があったがどうしましょうかという、いままでいろいろ御希望があったのだが、それを拒絶した手前、一つくらいはよかろうということで、これは私は心底からいえば武士の情けというかね。これははなはだどうも国鉄の犠牲においてそういうことをやったということは私の不徳のいたすところだと思いまするが、とにかく何となくそういうことになったという、こういう次第でありまして」(第52回国会 参議院 運輸委員会 閉会後第1号 昭和41年9月12日)

 石田が「一つくらいはよかろう」と、全く悪びれずに発言したことで、問題はさらに深刻化した。荒舩が騒動を収束させられなかったため、彼に関する疑惑が次々と明るみに出た。

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