1900年開業! 九州初の電車「別大電車」はなぜ別府に作られたのか? 地域開発の陰に消えた儚い歴史をたどる

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別大電車の歴史は、地域の発展と交通手段の変化を示す貴重な例で、別府と大分を結ぶ交通の重要性を再認識させる。1900年に九州初の電車として開業し、観光地としての発展を支えたが、自動車交通の増加と利用者の減少で廃線に至った。この歴史は地域経済と交通の変遷を物語っている。

別府温泉まつりで幕引き

トキハ百貨店前、かつての軌道跡を走る大分交通バス。別大電車のラッピングがなされている。大分交通は現在も豊州電気鉄道が設立された1896年8月5日を創業日としている(画像:若杉優貴)
トキハ百貨店前、かつての軌道跡を走る大分交通バス。別大電車のラッピングがなされている。大分交通は現在も豊州電気鉄道が設立された1896年8月5日を創業日としている(画像:若杉優貴)

 末期まで近代化が進められていた別大電車であったが、すでに当時の国内主要都市では、

・大阪市電(1969年廃止)
・神戸市電(1971年廃止)

が全線廃止・バス転換済み、

・札幌市電(のち一部存続・再延伸)
・東京都電(のち一部現存)
・横浜市電(1972年廃止)
・名古屋市電(1974年廃止)
・京都市電(1978年廃止)

などでも路面電車の全線廃止計画が進められていた。末期まで黒字経営だった別大電車であるが、1970年代に入ると赤字に転落。時代の流れには逆らうことができなかった。

 1971年12月には大分県が大分交通に対して補助金(補償金)5億5000万円を支払うことを条件として別大電車の廃止を正式に要請。わずか4か月後の1972年4月4日、別府温泉まつりのなか別大電車は72年の歴史に幕を下ろした。

 別大電車の軌道はすぐに撤去されて1978年までに道路となったため、21世紀になった現在はその廃線跡を探すことも難しい。

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